短編小説

□泡沫の夢
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震える千夜を見て,ボスは少し考えるような仕草をして,またさっきの柔らかな笑みを浮かべて言った。

「どうしてもというのなら,チャンスをあげる。ゲームをしようか?」

「ゲーム?」

「そう。簡単なゲームだよ。お互いにひとつずつ,自分がやってみたいことを千個言っていくんだ。
同じものは駄目だよ。先に何も思い付かなくなった方が負け。二人とも千個言えたら,君の勝ちでいい。君が勝ったら,家族皆無事に帰してあげる」

「ほんとに?」

「ああ。約束だ」

パパ達が何か言ってるようだったけれど,口にガムテープがついてるから,う゛ーとしか聞こえなかった。




こうして,千夜と,千夜の家族の命がかかったゲームが始まった。

千夜は,ボスと向かい合わせにソファに座った。のどが渇くだろうからとジュースが用意されたけれど,とても飲む気にはなれなかった。
手下の一人が,ノートと鉛筆を持って,記録係を引き受けた。


「君が先行だ」

ボスが,ソファにゆったりと座って言った。

「えっと,えっと…ち,千夜は…」

千夜は,今までにないほど緊張していた。こんなこと初めてだし,何しろ千夜と皆の命がかかっているのだ。普段からあまり話さない口下手な千夜はいつにも増して自分の思いを言葉にすることが難しかった。このままじゃ駄目だ!早く,早く言わなければと思えば思うほど,言葉はみんなのどに引っかかってなかなか出てこなかった。

ちらっ,とボスの方を見ると,ボスはとても穏やかな笑顔で千夜を見ていた。それは,千夜が自分の思いをなかなか言い出せない時に,ママがじっと辛抱強く待ってくれている時の表情に似ていた。

「千夜は,お空を飛んでみたい」

ボスの顔を見ていたら,するっと言葉が出てきた。

「そうか,泥棒さんは空を飛んでみたいんだ。それは楽しそうだね。そうだなぁ,僕はイルカと泳いでみたいな」

「イルカ?わぁ,気持ち良さそうね!えっとね,後ね,千夜は,大きなぬいぐるみが欲しいんだ」

「へぇ,どんな?」

「あのね,こぉんな大きなね,ウサギのぬいぐるみ。この前ね,おもちゃ屋さんにあったの。ぼすさんは?」

「じゃあ,僕はイルカのぬいぐるみが欲しいな。小さい頃,とても欲しかったんだけど,結局買ってはもらえなかったんだ。あれが欲しいな」

「ぼすさんは,さっきからイルカばっかりね!」

「そういえば,そうだねぇ。僕は,とてもとてもイルカが好きなんだよ」

「あ!そうだ,後ね,千夜は,お馬さんに乗ってみたいんだ!真っ白でね,しっぽがふさふさのお馬さん!」

千夜は,ゲームを進めていくうちに,ボスも普通の人間なんだと気付いた。イルカが好きで,やりたいことがいっぱいあって,普通の人間だ。悪いことしかしない悪者とは少し違うような気がした。

いつの間にか,千夜は,はしゃいで大声でボスに話して聞かせていた。ボスは,あいかわらず柔らかな笑顔で話しかけてくる。とても命がかかったゲームには見えない。まるで,小さな子どもと遊んでいるかのような…。





しばらくの間,夢中で話していた千夜は,視界の隅に縛られたパパを見つけた。千夜は,自分がすっかり本来の目的を忘れていたことに気付いた。大事な目的。自分達の命がかかったゲームのこと。

ふと,パパが何やらごそごそと動いていることに気が付いた。そこで,千夜は少し前のお仕事の時を思い出した。その時も,捕まりそうになった。皆がロープで縛られてしまって,もう駄目だと思った時,パパが隠し持っていたナイフでロープを切って,いっぱい煙が出る筒を投げた。そして,相手がパニックになった隙に逃げ出したのだ。いつも捕まりそうになった時に使う手だ。きっと,今回もその準備をしているに違いない。マフィアの人達は,まだ誰もそのことに気付いてはいないようだった。

「泥棒さんの番だよ」

ボスが笑顔で先を促した。随分,黙りこんでいたようだ。

「えっとね,えっとね,千夜は,木登りがしたいな」

「へぇ,女の子だから心配されるんじゃない?」

「うん。男の子はね,皆やってるんだよ。でも,女の子は危ないから駄目だって言われるの」

千夜は,話ながらも,パパが気になって仕方がなかった。きっともうすぐ,パパは皆のロープを切ってしまう。そうしたら,きっと皆無事に逃げられる。ロープさえ切れたら,きっと,このゲームは必要なくなる。千夜は,それがなぜだかとても悲しかった。このゲームが終わってしまうことが,とても,とても悲しかった。
それに,なんだかボスを裏切っているような気がした。もう,ボスの顔を見て話すことができなくなっていた。

「そうだな。僕は,ゆっくり釣りがしたいな。ボートで海に出て,一日中,釣りをしていたい」

「ふふっ,きっと酔っちゃうよ」

「そうかもしれないね。でも,酔ったら釣りは止めにして,そのまま海で泳ごうかな。泥棒さんは,後は何がしたい?」

ボスに問いかけられて,ふと顔をあげると,ボスの柔らかな笑顔に出会った。


……ああ,そっか。



 
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