その他
□アンドロメダ
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映画館から出て来た彼女は、まるでアンドロメダ王女のように美しく。
だから星の輝きよりも見とれてしまった。
アンドロメダ
深夜の公園には彼女だけだった。
児童用の低いブランコに腰を掛けている彼女は、膝の上に置いた手を見つめている。
「どうしました?」
スッとハンカチを彼女の前に差し出すと、彼女は驚いたように顔を上げる。
こんな時、もっとスマートにできればな、なんて思う。
例えば、スペイン人のように最初から情熱的で、薔薇の一本でも手渡して。
彼女のような日本人――だと思う。ここは日本だし。――から見れば、興味本位で動く単なるナンパ外国人かもしれない。
ナンパなんて手馴れていて、まるでひと夏の恋のために女性に気安く声を掛ける外国人のように見えるかもしれない。
そんな杞憂とは裏腹に、彼女はそっとハンカチに手を伸ばした。
頬を流れる涙を拭き、もうこれ以上涙が零れ落ちないように上を見た。
さっき、一緒に映画館から出て来たあの男と何かあったのだろうか。
彼女の涙が止まるまでの間、自然と思考が巡る。
彼は、彼女の恋人だったのだろうか。
きっとそうだろう。ラブロマンスだったから。
日本語の勉強のために観ていたけれど、言葉よりも映像が多くて、あまりためにならない映画だった。
それでも、夜だったから安く、暇を潰すには良かった映画かもしれない。
そんな映画を観た後に彼女は彼と別れたのだろうか。
別れ話を切り出したのは彼なのだろうか。
彼は浮気でもしていたのだろうか。
ヒドい言葉を言われたのだろうか。
それとも、仲の良い友達だったけれど、告白をしたら振られたのだろうか。
ともかく、彼女は今、目の前で泣いている。
その事実は間違いなく、そして、何か悲しいことがあったに違いない。
「宇宙は、」
彼女の横のブランコに腰掛けると、ギシリとブランコが揺れた。
重力のある世界。
「宇宙は広いと思わないか?」
彼女は黙っている。
黙って、オレの話を聞いている。
「宇宙にはたくさんの星がある。だから、面白い名前の星座もたくさんあるんだ。例えば、きりん座、ろ座、かみのけ座なんてのが」
黒く、聡明そうな彼女の瞳は、まるで宇宙のようだと思った。
「宇宙は無から始まる。宇宙が誕生した時にどんどん膨張していき、ピークを迎えるとどんどん収縮していく。そして、最後にはすっと消えてしまうんだ」
オレが空を見上げたからか、自発的なのかは分からないが、彼女は空を見上げていた。
この国らしい、あまり星のない空。
けれども、雲がないおかげで、いつもより綺麗に見える。
「宇宙の歪みを発見したのは、相対性理論を定理した――」
「アインシュタイン」
彼女はとても美しい声で言う。
空をじっと見つめていた。
左手には涙の乾いた青いハンカチ。
オレの視線に気づき、照れくさそうに笑った。
「続けて」
彼女の笑った顔は、どんな星よりも綺麗だと思った。
地球での訓練のランニングの後とは全く違うドキドキが、体中に伝わってくる。
「ブラックホールは重力が大きすぎて、光さえ抜け出せない程の底無しの歪みができるんだ。ブラックホールの中では、時間が止まっている」
「……その中に入ってしまったらどうなるの?」
「出てこられない。ブラックホールの中心に向かって永遠に落ちていくんだ。信じられない話かもしれないけれど、方角さえ分からない」
彼女は悲しそうな顔をした。
悲しそうな、心配そうな。
「永遠に、そこに閉じ込められるの?」
「うん、ずっと」
小さな手は、ぎゅっとハンカチを握り締めていた。
その手は小刻みに震えている。
「生憎ブラックホールは、泣いている女の子が好きらしい」
なんてクサいセリフを言って、手を重ねた。
もう一方の手で、彼女の頬の涙の筋を拭う。
「でも、もう大丈夫」
彼女はまた笑った。
どんな星よりも綺麗な笑顔で。
「宇宙にだって、終わりがある。でも、今から新しい宇宙を誕生させることだって出来るんだ」
いっぱいいっぱいにドキドキしながらオレは言う。
全然スマートじゃない、ダサくてクサいセリフ。
きょとんとした彼女は、けれども、すぐに笑った。
「終わりのない宇宙がいい」
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