短編

□蛇と梨 弐
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「…光秀ってさ、口吸い弱いよね?」

慣れてないの?と。
嫌みではなく、純粋に不思議とする雪陽に。光秀は、決まり悪そうに呟いた。

「……貴方だからですよ」

どこか拗ねたような物言いに。
雪陽はきょとりと呆けてから、次には至極満面な笑みを浮かべて再び光秀に覆い被さると、今度は彼の耳介に口付けて囁いた。
「嬉しいよ」、と。


 *


「父上と光秀がらぶらぶだったから空気読んだぞ。梵えらい?」
「おう、偉い」

誉めてつかわす、と蘭丸は梵天丸の頭を撫でる。
蘭丸の態度は気に食わないが。褒められている事には純粋に嬉しいので、むふー、っと梵天丸は満足げだ。

実は梵天丸。
もうお昼だよーっ、と、父親である雪陽の部屋にたったか走ったのだが。人より回りの空気に敏感な梵天丸は、部屋の中から溢れる桃色の空気に逸早く気付いて即座に回れ右をして帰って来たのだ。

今頃はまだ褥で雪陽を充電中なのだろう光秀を思い、まあ仕方ないか、と蘭丸。ここ最近は会えていなかったのだから、それを考慮すれば一日くらいだらだらしたって誰も咎めまい。

「どうせなら割り込めば良かったものを。こんな時間だ、非は向こうにあるというのに」

咎めはしないが、茶々を入れる人間はいる。
蘭丸と梵天丸の後ろに現れたのは、松永久秀その人だ。

割り込んで空気をぶち壊してしまえば好いのに、と笑う松永に。梵天丸は、至極真面目な顔をして、腕を組んだ。

「おとなげない大人になるなって父上に言われてるからな」
「雪陽と同じ様に、私もお前を育てている筈なのだがな…」

何故こう育ったのだろうと不思議がる松永だが。
反面教師とはきっとこういうことなのだろう、と蘭丸と、側に控えていた小太郎は思う。

確かに、梵天丸は大体五つの頃。
雪陽に拾われて以来、梵天丸は松永の元で暮らしてきた。茶人としての松永には礼儀作法を叩き込まれ、教育者と言わるものであると紹介しても何ら問題ないほどだが。それ以外の普段での松永は、あんまりに身勝手で理不尽である。
八つ時に出された雪陽作の菓子をさらっと奪われたり。苛烈苛烈と置いてけぼりにされたり。稽古で全くの手加減なしに投げ飛ばされたり。無理難題なお使いを頼まれたり、と。
お陰で精神面が尋常じゃないくらいに強靭になってきたよ、と梵天丸は、二年前よりは逞しくなった自身を色んな意味で褒め讃えたい。



「………」
「あ、ところで小太郎。小太郎はもう出かけちまうんだよな?」

松永の側に控えていた小太郎は、梵天丸の問いに頷く。
昨日、松永に頼まれた所用を済ませる為、今から多聞山城から離れる。ざっと、小田原まで往復予定だ。

梵天丸はううむと悩む。
というのも。

「なあ蘭丸、畑の手伝いたのんでもいいか?」
「畑?ああ、そっか、雪陽って畑つくってたっけ」

多聞山城の一角。
元々は三好の代から受け継がれた大きく立派な倉があったそうだが、残念ながら当主松永の美意識的お眼鏡に敵わず、無惨にも美しく爆破されてしまい、更地になっていた場所がある。
つい二年前までは何も無かったのだが、ならばと雪陽が許可を得ていそいそと開拓し始めたのだ。
最初はほんの一角に過ぎなかったのだが。今や視界一杯に広がる農園へと成長している。
ここ松永家での食事にもよくよく使用されており、評判は上々。味の質も良く栄養価も高い。丸々肥えた雪陽印の野菜は、城内でも高い人気がある。
勿論、昨日の夕餉にも野菜使われていた。

そんな畑を、梵天丸も進んで手伝っていた。
元々農民の出であり、畑の世話は切っても切れぬ縁があった梵天丸は、父親の手伝いも出来るという事もあって自主的に着手する事もざらであるが。

「水やりはもうおわってんだけど、雑草をまだとってねえんだ。ほんとは明日とる予定なんだけど…」
「…?」

たかが雑草取り、と侮る事なかれ。
先程言った通り、雪陽の畑はそれはもう広く広く広がっており、雑草を取るだけでもかなりの労力を要するのだ。


 
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