短編

□蛇と梨 弐
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襖の向こうから、朝の匂いを感じて目が覚める。
鳥が一鳴きして飛び立っていく音を聴き、ああ朝か、と雪陽はぼんやり思う。

雪陽の朝はいつも早く。流石に忍程とまではいかないが、仕事の早い女中らがいそいそと朝の準備に取り掛かる頃には、雪陽も同じ頃に目を覚まして共に厨に並んで立ち、朝餉の支度を手伝うのだが。
だけれど常の、滅多に狂わぬ体内時計から察するに、今はもう女中達は朝餉の支度を終えているだろう時刻。はてさて何故やら、と思う。

と同時に、普段はいない腕の中にある低体温のそれの存在に気付く。見下ろすと目一杯に銀色が埋まって、ああ、そうかと思い至った彼は満足げに笑んだ。
腕の中の彼は、雪陽の胸板にぴったり額を押し当て、がっちりと背中にまで腕を回して抱き着いてくる。それは昨夜、雪陽と久方ぶりに睦言を交わしていた光秀だった。

雪陽は、光秀に腕枕をしていた左腕を退かさず器用に動かし、銀糸を撫でる。長い髪を掬ってはさらさらと指の間から溢れていくそれが楽しくて、数度繰り返すと。
肌に触れる自身の髪がくすぐったかったのか。息をしているのかさえ視認出来ない程だった光秀が、うん、と唸ってもぞりと体を捩らせ、更に雪陽に擦りよってから。また、すや、と落ち着いた。

そんな仕草に和やかなものを感じながら雪陽は、こんな日もあって良いだろう、と再び頭を枕に落とし、右腕で器用に掛け布団を光秀の肩にかけ直してから左目を閉じた。


二人が目を覚ましたのは結局のところ、日輪が頭の上に昇ってきた頃で。日射しに起きたというよりは、空腹で意識を呼び起こさせられたというべきだろう。

まさかこんなに眠ってしまっていたとは。
寝過ぎたお陰でぼんやりする頭を抑え、雪陽は光秀を揺り起こす。
微動だにせず眠り続けていた光秀は、ここ最近で珍しく熟睡していた意識をふわと浮上させた。

「よく眠れたかい?光秀」

声に導かれる様に、目の前にいる雪陽に目線を移す。
そうして寝惚けたような銀の眼が、これまた、誰かが見たらまあ珍しいと言われるほどの柔らかな眼差しを含んだ。

「おはようございます、雪陽」
「うん、おはよう。まあ、残念ながらもう昼なんだけれどね」

おや、まあ。と。
光秀は、仕様も無いように笑った。
彼も、まさかそれほどまでに眠りこけていたとは、思いもよらなかったらしい。

朝餉はとっくに終わったろうね、と体を起こす雪陽を端に。
光秀は未だに、褥に体を横たえたまま雪陽を見上げていた。

雪陽が見ると。
光秀の銀の長い髪が褥に幾重にも、水面に波を寄せたような弧を描かせて広がっている。その中で。水面にたゆたう陽光を、水面下から見上げて眩しいと言う様に、光秀は目を細めている。

そんな彼に左手を差し出し、雪陽は目尻を緩める。

「溺れるよ、光秀」

銀の水面に指先を触れ、冷たいそれを掬い上げる。さらさら溢れた水糸を追い掛けていると、雪陽によって人肌に温められていた白く細長い掌が、雪陽の左手を捕らえた。

「もう、溺れてますがね」

ぐっ、と体を引き寄せられ、雪陽は体を倒し銀の水面に顔を近付けた。
人魚に海へ連れ去られる漁師の気分はこんな感じだろうかと、斜め上の思考をする。雪陽は笑み、目の前にある、水のように冷たい唇に、当たり前の様に口付けした。

左手を拘束する掌は緩まない。
雪陽は食むようにして唇を覆い、舌先でつつと撫でる。開いた隙間に舌を差し込んで彼の舌を拐ってやり、翻弄してやれば。
光秀は小さく鼻から息を漏らし、体を捩らせ漸く左手を離した。


 
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