カカイル
□水を抱く手
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「………」
イルカは完全に言葉を失う。
あまりに真剣なカカシの声。
「あの……」
「はい」
「あまり、頂いてばかりでは申し訳ないですし、今、これといって欲しいものはありません」
正直なイルカの言葉に、カカシは明らかな落胆を見せた。
言い訳や、嘘ではないと察したのだろう。
「だから……」
イルカはこれまでさんざん迷った言葉を、とうとう口にする。
「お気持ちだけで、十分です」
これは、賭けだ。
カカシが額面通り受け止めれば、それでいい。
しかし曲解されれば、逃げられなくなる。
「分かりました」
静かなカカシの声。
「でも、お祝いぐらいはさせてください。先生の好きなアレ用意しますから、飲みマショ。ね?」
最後だけいつもの調子で小首を傾げるカカシへ、イルカは頷くしかない。
* * * * * 5月26日。
誕生日とはいっても、イルカには朝からアカデミーでの授業、受付所で報告書の受理といった仕事があった。
初夏だというのに夕方まで気温は下がらず、蒸し暑い。
汗をかきながら商店街で買い物を済ませ、普段より多めの食料品と、職場で手渡された幾つかの包みを両手に自宅へ戻ったのは日が暮れた後だ。
傷みやすい食材は冷蔵庫へなおし、同僚と教え子たちからの贈り物は書き物机の傍らへ置く。
簡単に汗を拭ってから朝しかけておいた米を炊き、汁物と焼き物の下ごしらえをすませて簡単なつまみを用意した。
狭い台所の片隅に置かれた、1人用の小さな食卓は2人の酒宴を待ちかねるように埋まっていく。
向かい合って置かれた2膳の箸。
数種のつまみを盛った平皿。
揃いの取り皿や、箸置き。
それにまつわるカカシとの会話一つ一つを、イルカは覚えている。
どれもカカシが持ち込んだ。
狭い卓上を補う為に調味料や栓抜き、楊枝などを収納した小さなワゴンはカカシが入り浸るようになって買い足した。
友人というには、ずいぶんと深く入り込まれている。
戸を叩く音と、呼ばわる声。
「イルカせんせー」
はい、と返しながらイルカは戸を開けた。
「いらっしゃい、カカシさん。どうぞ、上がってください」
「はーい、お邪魔しまーす」
話していたとおり、銘酒だけ持ってカカシはきた。
食卓に酒の瓶を置き、いつもの場所へ座る。
腰を下ろすと同時に、額当ても口布も取り払う彼に、苦笑しながらお絞りを渡してやった。
「今日は蒸したでしょう」
「ありがとうございまーす。でも、お気遣いなく〜」
今日の主役はイルカ先生なんですから。
「さ、座って座って〜」
イルカを手招くにこやかな笑顔はすっきりと穏やかで、普段のカカシからは別人に思えた。
そのギャップにもいつの間にか慣れたイルカは、冷やしておいたグラスを運び、自分も座った。
「ふふー。やっぱり、ソレだしてくれましたね」
揃いの、深い藍色の地に桜が切り込まれたどっしりとしたグラスは、カカシが最初に持ち込んだものだ。
初めてイルカが食事に招いた時、今日も持ってきた酒と一緒に。
まずイルカのグラスに注ぎながら、カカシがつぶやく。
「嬉しいなあ」
コレね、任務帰りに立ち寄った店でみかけたんです。
「見た瞬間にね、なんでか、イルカ先生の手に似合いそーって思ったら……買っちゃってました」
ははは、と声だけで笑うカカシを、ぽかんとイルカは見返す。
write by kaeruco。
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