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□限界
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■■限界■■



私は毒見役には向かない
昔、まだENEDで兵器となる前のモルモットだった頃、毒の耐性を付ける為に様々な薬物を投与される内に味覚が機能しなくなったのだ
結果、殆どの薬物に対する耐性は得られた
今ではある程度の量ならば、譬えそれが明らかに通常の人間の致死量を超える毒物であってもほぼ影響を受けない肉体となった
しかし、これは易なことだけではないということに最近気づいた
例えば、目の前にいる上司の食事の毒見をしろと言われた場合
私には不可能なのだ
私の身体は毒が入っていてもいなくてもある程度は受け入れられる
だが、それを判断できる舌を持ってはいないからだ
私の舌に出来ることといえば、熱いのか冷たいのかの判断くらいだ
「お熱いのでよく覚ましてからお召し上がりください」などと目の前の上司に伝えたところで鼻で嗤われるのがオチである
それであるにも関わらず、目の前の上司は度々私と食事を共にすることを望む


「シキ」
常々抱いていた疑問を口にする為、上司を呼びかける
名前で、しかも呼び捨てなのは、彼の無慈悲な命令だからだった

この軍に所属したての頃は、他の兵士がそうするように総帥と呼んでいた
過去の関係はどうであれ、現在は軍に身を置く一兵士という身、それが当然だと思ったからだ
しかし、初めて総帥と呼びかけた時、彼は如何にも不快そうに眉を顰め(とはいえ、その表情筋の変化など微々たるものだったが)
二度目には返事を返してくれず
それ以降は返事どころか、全身で無視するようになったのだ
初めは原因が全く思い浮かばなかった
その時は過去に私が彼にしたことに対する嫌がらせかと思ったくらいだ
その彼にしたこと、ということも思い浮かばなかったのだが(彼には友好的に接していたつもりだったからだ)
まあ、回を重ねる毎に、彼の無視は私が総帥と口にすることで始まることがわかった
口にしなければ会話が成立するからだ
だが、わかったが、意味がわからなかった
その呼び名は軍のトップに君臨する彼に対するものであることは間違いない
現に他の兵士にはそう呼ばせているのを何度も耳にしてきた
それなのに、私だけに当てたこの仕打ちはなんのだ
一か月
同じ事象が続けばフラストレーションも蓄積されるというものだろう
流石に我慢の限界に達した私は、過去の知人・若しくは友人、現在の上司に直接訪ねてみることにした
「総帥」
月に一度の定例報告の終了した彼の執務室には、他の兵士が退室した後、彼と彼の右腕と私だけが残っていた
私は軍に所属して当初から彼の左腕という地位を得ていたため、不自然なことではない
私の呼びかけを彼はいつものように綺麗に無視してくれた
先程の報告で渡された資料に目を通していたままピクリとも反応を返してはくれない
「総帥」
ほぼ諦めの境地に立たされていた私は再度呼びかけてみるが、勿論反応などない
しかし
「総帥」
彼は資料から視線をあげ、顔を動かした
勿論私の方へではない
その時呼びかけた彼の右腕へ
なんだこの態度の差は…
私はこのような仕打ちを受けるために彼の下へ入ったわけではない
一月、蓄積された私のフラストレーションは、私の利き腕を無意識に動かした、らしい
気づいた時には、私は常に腰に携帯している愛用の鞭へと手を掛けていた
「いい加減にしてくださいよ…シキ…」
ついでに私の無意識は、このように言葉を紡がせた、と思っている
「貴方に請われ、態々遠いところから貴方の元へやってきてみれば、意味不明な嫌がらせ…
私は本当なら残された余生を可愛い弟とのんびり過ごそうと決めていたのですよ」
「可愛い、かどうかは甚だ理解しかねるが。その弟とやらはもう生きてはいないだろう」
「ええそうですとも!ですから弟の墓の傍に建てた小さな家で誰にも邪魔されずに生きていく予定だったんです!」
「随分と負抜けたものだな」
「その負抜けを呼び寄せたのは、他ならぬ貴方でしょうが!」
鞭をベルトから外し、一度両手で強く伸ばしてから先端を床に撓らせる
ビシッと気持ち良い程小気味良い音が部屋に響いた
鞭を外す時、彼の右腕が動いたのは知っていた
「退きなさいアキラ
いくらシキの前に立ち塞がろうとも貴方では相手になりません」
「総帥を害する者は誰であろうと許さない」
言葉と共に彼の右腕は右腰に帯刀していた日本刀とスラリと抜いた
「仕方ありません………ん?」
そこで気づく
私は先程彼と会話してはいなかったか
それまでいつものように無視されていたにも関わらず、だ
そして、これまでの会話の内容を思い出してから口を開く
「シキ」
「何だ」
「総帥」
「……」
…これか
余りに些細で下らない原因に軽く眩暈を覚える
手にした鞭を元に戻すと、彼の右腕も大人しく刀を鞘に納め、定位置である彼の斜め後ろへ戻った
この様子では、彼だけでなく右腕の彼も原因を知っていたのだろう
弟の眠る墓の傍に建つ家に戻りたくなった瞬間だった
それ以降
名前を呼び捨てにすることで上司との関係は良好に保っている、と信じている
何故彼がそこまで呼び名に拘るのかは疑問のままだ

話が逸れてしまった…
現実に話を戻すが
呼び掛ける必要もなく、彼の視線は私に向けられていた
しかも目の前に並べられた食事には目もくれず、テーブルに両肘を付き組んだ両手に顎を乗せ、私を見ていた
彼の隣に座る彼の右腕もじっと私を見つめていることに気づく
食卓と並べられた席の関係上、正面に位置する二人にまるで観察するかのような視線に疑問を感じつつも、それ以前に感じていた疑問を口にしてみる
「私に毒見はできないことは貴方もご存じの筈です
それなのに何故私をこのようにお招きになるのですか?」
「部下と食事を共にすることに何の疑問がある
それに、毒見などもう既に必要ない」
それは、もう毒見は済んでいるという意味だ
それならばいい
しかし何故食事に私を招くのかはまだわからない
彼の寵愛を受けている右腕の彼ならまだしも、部下との交流を深める為などという理由は彼には当てはまらないだろう
考えられない
「食わんのか」
同じ姿勢のまま問う上司
「こちらのことは気にするな」
まさか上司よりも先に手を付けることなど出来ないという私の考えを見抜いたかのように、彼はそう続けた
「では、頂きます」
空腹は感じていた
先の戦争中は非常時には木の皮さえも食べた
食べ物を無駄にすることはできない
無礼と感じつつも私は二人よりも一足先に料理を口にした
ゆっくりと食事を続けていると、先程まで私を見つめていた二人が今度は顔を向い合わせて何やら囁き合っているのが聞こえた
「三倍ですよ?」「まだ序の口といったところか」などという言葉が漏れ聞こえてくる
この食事に何かあることは薄々感じていたが、どちらかの口から「致死量」という言葉が聞こえた瞬間、私は手を止めた
ナプキンで口元を拭うと、今度はこちらが二人を見つめる
「シキ、アキラ」
殊更ゆっくりと呼びかける
右腕の彼には明らかに焦りのようなものが見てとれ、その上司はいつものように涼しげなポーカーフェイスのままだった
「この食事に何を混ぜましたか」
声色低く尋ねると、彼の右腕は明らかに不自然な様子で視線を外し、その上司は何事もないかのようにワインを口にした
「アキラ
この食事に、致死量の三倍の何を混入したのですか?」
今度は標的を絞って問う
すると相手は、普段の鋭利で冷淡な様子からは想像もできない様子で視線を逸らしたまま縮こまった
過去、トシマでは処刑人と参加者、謂わば捕食者と被捕食者のような関係だったこともある間柄だ
殺気を軽く込めた視線は有効だった
「き…」
「き?」
「筋、弛緩薬を…」
私の中でひとつの決意が浮かんだ
弟の待つあの家へ帰ろう

その後じっくり話を聞くと、薬物を混入されたのは今回が始めてではないことが明らかになった
前々回は致死量ギリギリ
前回は致死量の二倍
そして今回は三倍…
というふうに徐々に濃度を上げていたらしい
薬物への耐性はあるが、無効というわけではない
家へ帰る前に、弟と同じ場所へ送られる…
まだいくつかこの世でやりたいことを残している私は、その晩自分の荷物を纏めた
しかし、それに気づいた上司とその右腕にコレクションでもある武器を全て取り上げられ、監禁されたことで、決意は水の泡となった

自由奔放で少し馬鹿だけれど可愛い弟
お前に元へ行くのもそう遠くはないかもしれない…



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