短編小説
□ダクト
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ダクト
昼間、家に誰もいない時間に風呂を使うのが習慣になった。
窓のない浴室には、ぼんやりとした淡い蜂蜜色の明かりと、湯気のこもった暖かいのに冴えた空気が満ちている。
聞こえてくるのは古い換気扇が回る咳き込むような音と、その向こうから聞こえてくる幾つもの声。
長いダクトを通して外と、そして他人の浴室と繋がる換気扇。
そこから、様々な世界の音が響いてくる。
幼稚園の送迎バスがやってくるまで、誰かの悪口を言い合う女の人の声。
そんな母親たちの目を盗んで、通りに飛び出していく小さな子供たちの足音。
飛び出した子供たちへ投げかけられる罵声とクラクション。
高く響く、ブレーキの音。
衝突音。
それから、悲鳴と甲高い泣き声。
外の騒ぎと無関係に流れる流れる昼メロのテーマ曲。
掃除機をかける音にも負けない、音程の外れたハミング。
電話が鳴って、嬉しそうに対応する声。
「ええ、4時までなら。じゃあ、いつものところに迎えにきてね」
掃除機もテレビも沈黙して、箪笥を開け閉めする音がハミングに加わる。
「ちくしょう」
世界を呪う声。
ガラスの砕ける音。
床や壁を叩く音。
「どうしてお母さんのいうことがきけないのっ」
ヒステリックな叱咤と同時に、何か重いものが落ちる音。
そして、子供の悲鳴。
天井から、一滴、ぽつりと湯船に落ちてくる。
波紋は、静かに静かに広がってゆく。
「……世は全てこともなし、か」
ざぶりと湯から上がり、浴室から出る。
もう、世界の音は聞こえない。
【了】
濱田都《蛙女屋携帯書庫》
[http://id54.fm-p.jp/133/ameya385/]
初出:2006年3月29日
ブログ『日々是空想科学日和』
最終更新:2009/01/08