短編小説
□さくら
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さくら
夏休みが始まるのは夕方の東京駅から。
お母さんが売店で買ったチキンライス弁当とお茶を窓際のテーブルに置く。
「他に、なんかいる」
「ううん」
手持ちのバスケットから、さっき買って貰った本を出してぱらぱらとめくる。
人気作家の文庫書き下ろし最新刊は相変わらずくだらない。
なんでクラスの子はこんな本が好きなんだろう。
でもこれなら、下りる時に捨てていける。
荷物は増やしたくない。
「切符は」
「ちゃんと持ってる」
本から顔を上げないまま、肩からななめに下げたポシェットを叩いてみせた。
中には切符とハンカチ、それとハイソフトのミルク味とボンタン飴とサクマ式ドロップの缶が入っている。
「他には」
「なんにもないでしょ」
夏休みにおじいちゃんの家に行くのは、もう慣れたものだ。
着替えは先に宅配便で送っているので、荷物棚に載せなきゃならない大きな荷物はない。
私1人が貨物みたいに寝台車か飛行機に乗せられて、佐世保でおばあちゃんに下ろされる。
たったそれだけの1人旅。
「他の人が来たら、ちゃんと挨拶すんのよ」
「分かってる」
いつも私が乗せられるのはB寝台の1番下。
2段ベッドか3段ベッドが向かい合ったB寝台には、大抵2人連れのおじさんたちとか、家族連れが乗り合わせる。
そして私が1人で乗っていると知ると、妙に高い声でエライねえとか話し掛けてくる。
それが、イヤだった。
自分と同じぐらいの子供が、変にはしゃいでる姿など見ていられない。
でも、飛行機よりマシかもしれない。
ただでさえ、あの速度にはついていけない。
それなのに、目の前に型でとって貼り付けたような笑顔の客室乗務員に座られて、どうでもいいようなことを話し掛けられる。
歳はいくつだとか、どこへ行くのかとか。
歳と名前の書いてある名簿を持った、乗員に。
新幹線も苦手。
早いのに、始発から終点まで7時間半乗っても、まだ着かない。
飛行機も結局は同じ。
空港から別の電車で6時間。
バスで1時間。
船で30分。
これじゃあ寝台車でいっても、掛かる時間は一緒。
時間が変わらないなら、夜中1人で寝台車に揺られているほうがいい。
「それじゃあ、お母さん降りるからね」
「うん」
もう薄暗くなってる車内に、オレンジ色の光が差し込んでくる。
とても、静かだった。
この車両に、私以外がいないんだろう。
ホームからお母さんが、車内を覗いてる。
アナウンスと発車ベルもどこか暢気だ。
「じゃあね」
お母さんに一度だけ手を振り返す。
ゆっくりと、さくらが動き出すと、ようやく私の夏休みも始まる。
とりあえず今夜は、このくだらない人気作家の本を読んで過ごそう。
飽きたら、車窓でも眺めてればいい。
「ビールでも飲めたら、もうちょっと楽しいんだろうけど」
あいにく、その頃の私はまだ小学1年生だ。
それは今は遠い、夏休みの思い出。
【了】
濱田都《蛙女屋携帯書庫》
[http://id54.fm-p.jp/133/ameya385/]
初出:2005年8月9日(blog)
最終更新:2009/07/03