第1部

□コロシアム―後編
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矛盾だと言われても
偽りだと否定されても

それでも今抱いてるこの想いは本当の私の気持ちだと信じたい

彼女を想うこの気持ちは嘘じゃないって

今の私はそう思いたいと心の底から願う


この先、何があっても揺るがない真実として、絶対に失いたくない



*‥*‥*‥*
旅をするという事
外の世界に出るという事

それは常に命の危険と隣り合わせになる事を意味する

世界に数多とある国々はそれぞれ、独自の文化を作り上げており
多国間との交流も薄い

豊かで平和な国もあれば、争いの耐えない国もある

自分の中の『常識』が一切通用しない場合もあり
状況によっては非常識と認識されてしまう事もある

幸い、私の生まれた国は比較的治安が安定している平和な国だった

だからこそお母さんはきっと…私と兄さんには旅に出ないで故郷の国でずっと暮らしてほしかったのかもしれない

その反面で引き止める事は出来ないと分かっていたんだと思う



『……サヤの夢はとても素晴らしいものだと思うわ。けれど、何度も言っているでしょう?旅はサヤが考えている程簡単なものじゃないのよ?』

母は優しい、けれど厳しい口調で言った

『夢を持つ事。それを旅で実現したいという気持ち。けどね、それだけじゃ旅人になる事はできないのよ』
『お兄ちゃんから少し聞いた。旅人になるのはとても簡単でとても難しいって』

けれど、それがどういう事かサヤにはよく分からなかった


簡単で難しい、という矛盾を理解するにはまだサヤは幼かったのだ

『国のほとんどがそれぞれの価値観と独自の文化を持っているわ。必ずしも自分の持っている常識が通用するとは限らないの。今の世界は法が統一されていない世界…。無法地帯だって少なくないし、突然襲われて殺される事だってあるわ』

そう言って母親は引き出しから一つの箱を取り出し、テーブルの上に置く

箱の蓋を開けて中から黒光りする物を取り出す
見るのは初めてではないが、やはりいつ見ても息が詰まるような重苦しい感じがする

『パースエイダー…』
『必要ならこれを使う機会も少なくないわ』
『でもこれは人を…』
『ええ。人を殺めると同時に自分の身を守る為の道具でもあるのよ』

暗い表情を落とすサヤの頭を彼女は優しく撫でた

『でもね、旅に出るならそういう覚悟が必要になってくるわ』
『相手が殺そうと襲い掛かってくる事もあるからね。そうしたらこちらも命懸けでいくしかないって事さ。それが結果的に相手を殺してしまったとしても、ね』

唐突に第三者の声がしてサヤは顔を上げた
いつの間にか兄のキノが階段脇の壁に寄り掛かっていた

『キノ!本当は貴方には旅なんて危ない事は止めて家に落ち着いてほしいのよ!今回も無事に帰ってきてくれたけれど、次は…!』

母親は顔をしかめて言った

『ヤキモキしながら貴方の帰りを待つこっちの身にもなってちょうだい!』

この話題が上がった時点でこちらにも矛先が向くのを大方予測していたのだろう
兄はマイペースな様子でまあまあ、と両手で母親を窘める

『母さんやお婆ちゃんだって若い頃は旅をしていただろう?旅先で得た知識やが自分や自国の成長に繋がるって教えてくれたのだって父さんや母さんじゃないか』
『それは…そうだけど…』

母親はむう…と言葉に詰まってしまった


―静かな沈黙が室内の空気を支配する


―チク、タク―…


唯一の音である時計の針が時を刻んでいく


『でも…』

そこで一番初めに口を開いたのはサヤだった

二人の視線がサヤに向く

『でも…撃たれた人は痛いし…死んじゃうのも嫌だよね…パースエイダーで撃つのはやっぱりかわいそう…』
『そう。誰だって死ぬのは嫌さ』

キノはサヤの頭をくしゃり、と撫でた

母親と同じ暖かく心地良い感触に目を細めた

こうして撫でられると心が和み、強張った気持ちが解れていくから不思議なものだ

『生きていると色んな事がある。辛い事や苦しい事…決して楽しい事ばかりじゃない。けど、死んでしまったらそこでおしまいなんだ』
『………』
『お互いに譲れないものがあって、それを死んで失いたくないから、守る為にはそうしてぶつかり合う事もある。それが外の世界の理だ』
『…キノの言う通り、ね。サヤ。もしも、本当に旅人になりたいなら覚悟だけはしてほしいの。中途半端な気持ちで旅に出るなんて言わないで。私は大切な貴女を失いたくないのよ』

サヤはそれを聞いて胸がきゅうっ、と締め付けられるような気持ちになった


兄のような旅人になりたい
そして、自分の歌をたくさんの人に聞いてもらいたくて歌手になりたい

それがサヤの夢だった


日々、母親に夢の話をしては強く反対されて
まだ子供だから、と簡単にあしらわれているだけだとサヤは面白くなく思っていた


けれど、ただ頑なに反対していただけじゃなくて
ちゃんと考えてくれていたのだ


『…サヤ、もし、本当に旅人になりたいならこれだけは覚えていて』
『?』
『旅人として一番大事な事。それは生きるという事なのよ』




―朧げに脳裏に浮かぶそれはまだ私の中に残ってる数少ない記憶だった


外の世界を自由に旅をする兄さんに憧れて
自分の歌をもっと色んな人に聞かせたくて
歌手になって旅をしたい、と夢を持った私

そんな私に兄さんとお母さんもまず、最初に教えてくれたのは自分が生きる事が大切だ、という事だった


でも、その二人はもう、この世界のどこにもいない


残されたのは私と―

(キノ…)

兄と同じ名前を持つ少女

彼女の存在は兄と重なり
私を困惑させた


一方は彼女に歩み寄りたい
もっと近い関係になりたいと願う私


一方は彼女を快く思ってなくてそうなる事を拒絶する私



兄さんとの想い出がほとんどない今、兄さんと重なる彼女と絆を深め
その存在が私の中でもっと大きくなってしまえば、きっと私の中の兄さんが消えてしまう

それが嫌で怖くて堪らなくて、どうしたらいいのか分からなくて―


そんな葛藤を何度も繰り返しながらこれまでやってきたけれど…疲れてしまった

だから、もう…



―死んでしまったらそこでおしまいなんだ



…もし私が死んだら終わってしまったこの想いはどこにいくのだろう?

残された彼女は…『キノ』はどうなってしまうの?

彼女の想いは?



そして、終わってしまったら
どんなに願ってもそこから何も変わる事もなく
新しくはじめる事も出来なくなってしまう


そうなったらきっと私は後悔し続けるかもしれない

そんなの、やっぱり駄目




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