第1部

□紅いはじまり
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そこは一面、紅の花に埋め尽くされた世界だった
紅い海の真ん中
そこに謳う一人の少女がいた

スカートのような真っ白なロングコートを身に纏い
アイボリーの長い髪は大きな赤いリボンでひとつに結っている
余った横髪がさらさらと風になびく
こちらに背を向けているので顔は見えないが、身長からして十代中頃だろうか

空高く両手を伸ばして謳う姿は彼女の風貌と相俟って神秘的だった

切なく、優しい言葉が少女から奏でられる旋律と折り重なる

少し離れた所で一人の旅人と一台のモトラドが歌に聴き入っていた

『なかなかだね。キノと同じくらい上手いんじゃない?』
「そうだね、エルメス」

エルメスの言う通り彼女の奏でる声には惹きつけられる何か強いものがあった

が、エルメスのように心の底から純粋にその美しさに感動する事はなかった
いや、出来なかった

彼女の奏でる旋律をキノは知っていた

それはずっと色の無かった記憶に意味を与えてくれたものだった
世界は広いのだと
数多の無限の可能性を秘めているのだと



やがて歌が止んだ
すると少女の歌を気に入ったエルメスが謳って、とねだる

『アンコール!もう一曲』
「えっ…?」

少女は慌てた様子で振り向く
謳うのに夢中になりすぎてどうやら人の気配に気付いていなかったらしい

「…………」

少女は無言のままモトラドと旅人を交互に見た
警戒と驚きが半分ずつ入り混じった目だった

「すみません。驚かせてしまって」

キノが謝ると少女はふるふると首を振り、小さく、いえ、と答えた

「まさかこんな所に人がいるだなんて思ってなかったから」

遠く、はるか彼方を見つめる
その先にはキノ達が通ってきた『国』だった場所がある

たくさんの想い出が眠る終わりの国

「あの国にはもう誰もいません。大人や大人になれなかった子供達も、そこに立ち寄る旅人も」

一筋の風が吹く
吐息のように強く、優しく少女達に触れ、過ぎていく

「…サヤ」

キノは名を呼ぶ
初めて会って、初めて呼ぶ名前なのに音に出された響きは昔からずっと知っているもののようで、心地良かった

「はい……キノ」

少女は微笑み、答える
初対面の相手が自分の名前を知っていた事に驚きもせず、ただ頷いた
悲しみを帯びた瞳が細められる
まるで全てを知っているかのようだった



*‥*‥*‥*
それはまだキノが今のキノになる前の話だった
キノがまだ生まれた国にいた頃の話

彼は年の離れた妹がいるのだと話していた
可愛くて可愛くてしかたがない妹
彼女は×××××(昔のキノの名前)と同い年くらいで今はとある人の下で旅に出れるように修行をしている
12歳の誕生日が訪れる頃にそれも終わるはずだから次に帰郷した時は彼女を連れて旅に同行させる予定だ、と

名前も教えてもらっていた
彼が話していた彼の妹こそが目の前にいる少女―サヤだった


以前彼の故郷の国へ行った時、サヤはいなかった
キノが来る数ヶ月前に旅立っていったとだけ国の門番から聞いていた

そして、彼の母親に会い事を成し遂げた彼女に母親の知り合いは言った
全て終わった、もう気負う必要はない、と
だが、キノの中ではまだ完全には終わっていないような気がした
目的は果たせたのだが、中途半端な気持ち悪い感覚が残っていた

その原因は既に突き止めていた
それは『キノ』の妹の存在だった

たったひとり、この世界に残された彼に近い者
最後の、ひとり

いつか、どこかで会うような事があったらやはり自分は真実を伝えなくてはいけない
母親の事も引っくるめて何もかも
それでキノの全ては完了する

だからキノは自分の旅を続けながらもどこかで彼女を追い求めていた
そして、追い求めていた人物がたった今、自分の目の前にいる
これは夢ではない
紛れも無い現実なのだ
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