■調査資料T■

□衝動
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3.


見事に引っくり返っていた成歩堂がその瞼をもたげると、目の前には三本のライン。

「…っうををわああぁっ!!?
なななななんっなんっなななななな」
「可哀想にな。唯一話せる母国語まで喋れなくなっちまったのか、崖っぷち弁護士さんよォ」

成歩堂の頭部の傍らにしゃがみこんで見下ろしている端正な男に、成歩堂は弾かれたバネのように起き上がる。

「わわわわわっな、な、なんでゴドーさんがここに…ッ」
「来ちゃマズイのか?」
「やややや…そ、そんな事は…ない、ですけど…」




存分に毛穴と謂う毛穴から無駄に発汗しつつ答える崖っぷち弁護士の様子に、その存在すべてが怪しい元検事の肩が小刻みに揺れる。

───わ、笑われとる!!


そこでようやく成歩堂は『しまった』と気付いた。

今の自分は酷く無防備だ。

嘘やハッタリの鎧すら身に纏ってはいない。

先日彼に植え付けた、『実は僕は真性ゲイで男好きでただ今男日照り中な成歩堂龍一くんです』と謂う仮面すら、つけてはいない。

男慣れしていい塩梅に擦れた男は、例え間近にターゲットが迫ってきたとしても、このように無様に狼狽したりなどしない。

こんなにどもったりなど、もってのほかだろう。

───ヤバ…っ

漸く焦りを来した時には既に遅く。
完全に笑いだした褐色の男は、ついには顔を背けて『クックックック』と声まで漏らし始めた。


このままでは完全に形勢が不利だとみて、成歩堂は精神を建て直す為にもわざとらしい咳払いを落とす。

「今日は、どんなご用で」
「…。つれねぇじゃねぇか、まるほどう」
「は…」
「用事や理由が無きゃここに来ちゃいけねぇかい?」
「それは…」

胸中を様々な思いが去来する為に口ごもるトンガリ頭に、ゴドーはスゥと目を細める。
「アンタとの逢瀬には、それなりの理由が無きゃいけねぇみてぇだな…」
「そんなこと…っ」

ダメだ。
また感情的になりすぎて、仮面がつけられない。
すべてがうまく行かない。
まるでそのすべてが、菩薩の手のひらの上で転がされている孫悟空の様に、成歩堂の思考が、この目の前の如何わしい男に振り回されている。そう感じた。


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