■調査資料T■

□衝動
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「───此処は元々チヒロさんの事務所ですから、ゴドーさんがウチを訪ねてくるのに態態理由なんて要りませんけど…」
「…でも今はアンタの事務所だろ。
表の看板にはデカデカと刻まれてるぜ、『成歩堂法律事務所』」
「それは──」
「それにな、トンガリ弁護士さん。別に俺は逝っちまったオンナに会いに来たわけじゃねぇんだぜ」
「──」
「言った筈だぜ、まるほどう。
俺はアンタに会いに来たって」
「ッ」

転がす筈の言葉は全て、無に帰還する。
詰まり、絶句だ。

筋張った、男らしい大きな手のひらが不意に己の頬に近づいて、成歩堂は無意識に背を跳ねさせてぎゅっと目を瞑った。

その反応をどうとらえたのか、ゴドーの手のひらが成歩堂の其処に触れることはなく、虚構の空間の中で躊躇を見せ、少々乱雑に漆黒の成歩堂の頭を撫でるに留まった。

「―ッ!!」
「アンタ、本当にコネコみてぇだな」

“うっかり拾いたくなっちまったぜ”───なんて。



先日を経た今日で、どのように解釈したら善いのか、もう分からない。

意識がどんどん混沌として行く。

人がカオスを恐れるのは───おぞましい程、不安だからだ。

この先、二人の関係がどう変化して仕舞うのか、まるで見えぬ事への───不安だ。

成歩堂はきゅっと下唇を噛んだ。

「拾って───くれるんですか、僕のこと」

口をついて出た言葉に、互いに瞠目してしまう。

然し、直ぐにゴドーは不敵なあの笑みを浮かべてクィと成歩堂の頤に長い指をかけて上向かせた。

「───煽んなよ、まだ昼間だぜ」
「…。昼下がりの情事って、名画があるじゃないですか。
濃厚官能シーン満載の昼メロだって、昼下がりに放映されてますよ」
「つまりそれは、『ヤりてぇ』って訳してイイのか?」
「違いますよ。…訳すなら───『僕を食べて』…です」






沈黙。メロウ。
混沌。逡巡。



内心の恐慌を無理矢理体内から追い出して伸ばした成歩堂の両手を───褐色の男はシニカルな笑みと共にしっかりと捕らえ、抱き起こすと所長席に座らせた。


此れからの予感に、成歩堂の指先は痺れを孕む。

淫蕩にまみれた期待と───こんな事になるのなら下処理をしておけばよかったと謂う少しの後悔と。

その後悔とて、先程まで成歩堂を支配していた後悔とは雲泥の差である。

詰まり今、彼は幸福なのである。





-ギシ。

使い込まれて老朽化が進む一方のチェアが短く悲鳴をあげる。

成歩堂を回転椅子の背凭れに凭せかけたゴドーは、その椅子を壁際に押しやると、当然のように体躯を屈め、両手を壁につけて成歩堂を閉じ込める形を取り、いやに焦らすように間合いを詰めた。

「──芳醇なアロマを味わうのに、無粋な蓋は取り外すのが、礼儀だぜ」
「…は?すいませんが毎度ながら意味がサッパリです」

相変わらず比喩が迂遠過ぎて予測すらつかぬ成歩堂がそうツッコむと、いつもの如く、喉奥で『クッ』と男は短く笑う。


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