銀月(前)
□さよならの代わりに
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美術室の扉を開けると、やはりそこに月詠がいた。
キャンパスを前に、筆を握っている。その後ろに黙って立つと、それは自分のサインを入れているのだと分かった。
「もう少し手を入れたかったが・・間に合わなかったな。」
こちらを振り向く事なく、月詠が言う。
キャンパスに描かれているのは寝転んだ男子学生の姿。俺はもっとカッコイイはずなのに、そう思ったが、口から出たのは別の言葉だった。
「転校するって本当か?」
「ああ。黙っていてすまなかったな。」
振り向いた月詠の顔は、いつもと同じ無愛想なツラだった。
こいつが今日限りで転校する、と担任が伝えたのは今朝のホームルームの事だ。
*****
月詠は数ヶ月前に俺のクラスに来た転校生だ。その見た目に、美人が来たと男子生徒達はざわめきたった。
あわよくば、と親切半分下心半分で、何人もの男がこいつに近づいていった。
だが、こいつの無愛想な鉄仮面は筋金入りだったらしい。
奴等は月詠の冷たい視線と言動の前に、敢え無く敗れ去っていった。
女子の方はと言うと、女共はやっぱりお節介だったようで、転校生に親切には、と当初は色々世話をやいていたようだ。
しかし、そんな女達にも月詠は頑なな態度を解く事はなかった。
そして、次第に月詠はクラスの皆と、距離を置くようになった。
教室の中で、いつも一人。
だが、それを見る限り、月詠はその状況を苦と思っているようではなく。逆に一人の方が良いのではないか、そんな感じがした。
窓際の席に座り、いつの空を眺めていた。
俺はと言えば、反対側の、一番廊下側の席に座って、それをぼんやりと眺めていた。
何であいつはいつも遠くを見てるんだろう。
あいつは何を見ているんだろう。
***
だから、月詠とちゃんと会話をしたのは、転校してきてからかなり経ってからだった。
そう、初めて会話したのはこの美術室。
忘れ物を取りに放課後のぞいたら、月詠がそこで一人絵を描いていた。
真剣な顔でキャンパスに向う。その姿に俺はぼーっと見惚れてしまっていた。
「何を、間抜けな顔しておる。」
それが、あいつが俺に向かって初めて言った言葉だった。
月詠は、数日前から美術部に入部したらしい。
何でその情報が漏れなかったのだろう、と不思議に思ったのだが、他の美術部員は、どいつも幽霊部員らしい。
ゆえに、こいつの入部自体を知るのは美術教師だけだった、という事だ。
そういう事情を、絵を描きながら月詠は話してくれた。どちらかと言うと、俺の質問に嫌々答えたような感じだが。
それでも、しばらく話をしているうちに、月詠の口調も滑らかになってきた。
なんだ、意外とコイツ喋れるんだ。
そう思っていると、月詠がふと、顔を俯かせた。何かに迷っているように、トントン、と筆でキャンパスの角を叩く。
「実は・・人物像を描きたいのじゃが、モデルがおらぬのじゃ。」
好きに寝転んでくれたら良いから。
その顔が微妙に赤い事に、俺は気付いた。
良いよ。
その小さな声に、俺は即座に答えた。