銀月(前)
□鳴かぬなら押して引いてみろホトトギス
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『鳴かぬなら、押して引いてみろホトトギス』
***
春休み中の職員室は、いつもと違いのんびりとした雰囲気に包まれていた。
新入生を迎える準備があるとは言え、休み中なので生徒達の姿は少ない。昼食を食べると皆、珈琲カップを手に次々と雑談を始めた。
まだ資料作りが終わっていない月詠は、一人デスク上のパソコンに向かった。昼食後の眠気を少し吹き飛ばして起きたいが、これを終わらせておかないと後で苦労するのが目に見えている。
カチャカチャ、とキーボードを打っていると、職員室の扉が開き銀八が入ってくるのが視界の端に見えた。ちらり、と視線を送りすぐにディスプレイに目を移す。
よっ、と銀八が家庭科教諭の幾松に話しかけた。
自分の所に来ない銀八に、少しだけ月詠は落胆する。そして落胆した自分に、何を考えている、と頭を振った。
もう一度ちらり、と銀八を見る。
幾松に用事があるのか、と思ったら特にそう言う訳ではないらしい。単なる世間話のようだ。
幾松と銀八は楽しそうに夏休み何処に行きたいか、などを話している。
幾松が楽しそうに笑う。未亡人ながら、美人でしっかり者の幾松は男子生徒にも人気が高い。女である自分から見ても魅力的だ。
「・・・で、銀八先生、旅行行くって言っても一人じゃ寂しいんじゃない?」
「え?じゃあ幾松先生、一緒に行ってくれます?」
「だーめ、私には旦那がいるからね。」
「まーったく、本当ラブラブなんですから。」
死んだ夫の事を幾松は今でも大切に想っている、と言う噂は本当らしい。それを聞いて月詠は少しだけほっとした。
そしてほっとした自分に自己嫌悪する。
「・・・嫌な女だ。」
ポツリ、と誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いた。
どうもおかしい、銀八が関わるとどうも自分はおかしい。
頭を冷やそう、そう思い月詠はそっと席を立つ。
「一緒に行ってくれる彼女とかいないの?」
「えーーー、実はいるんだけどね、超ラブラブ彼女。」
その瞬間。職員室中の人間が銀八の方へ振り向いた。
「本当か、金八!!ワシァそれ初めて聞いたぞ!!!」
「オイィィィ、お前みたいな若造が彼女とか早すぎるぜおじさん許さないよ。」
「ほほう、銀の字にコレができるとは、世も末じゃな。」
「銀八、彼女できたらアタシに紹介しろって言ってたろうが、さっさと紹介しな。」
「どうせまた別嬪なんだろうが、俺は興味ねぇけどな。」
職員達が銀八を取り囲み、次々と質問を浴びせる。
お前ら聞いてたのかーーー?と叫ぶ銀八の声を背に、月詠はそっと職員室を後にした。
***
人気のない廊下を、特に何処へ向うでもなく月詠は歩いていた。
思っていたよりショックを受けたな、人事のようにボンヤリと考えている。
ここ最近、銀八は何かと用事をつけては月詠に話しかけて来ていた。用事が無くても、話しかけて来る。
だから少しだけ、期待していた。
もしかしたら銀八は自分に気があるのではないか、と。
それでも素直になれなくて、話しかけて来る銀八を邪険に振り払って来た、迷惑そうな顔をしながら。
それでも銀八なら、また懲りずに笑いながら来てくれる、と自然に思っていた。
・・・これが自惚れ、というものか。
ふう、と息を吐く。
これじゃ中学生レベルだな。自嘲するように月詠は笑う。これなら、真面目に恋に悩みぶつかっていく生徒達の方がずっと大人だ。
ぶらぶらと歩き回っていたら、最上階の廊下の一番端に辿りついた。目の前には薄汚れた白い壁。どん詰まりだな、とため息をつく。
いい加減仕事に戻ろう。
職員室へ足を向けた時、廊下の曲がり角の向こうから銀八の姿が現れた。
「あーーひでぇ目にあった・・・って月詠先生?」
や!と銀八が片手を挙げる。月詠も軽く頭を下げて挨拶した。
「どうしたで・・・ありんすか?」
「いやあ、さっきの騒ぎで皆にもみくちゃにされて・・・あ、月詠先生途中はどちらへ?」
「ちょっと・・・用事で。」
とっさに月詠は嘘をつく。内心の動揺を知られないよう、わずかに視線をずらした。
「全くもう、皆あんなに怒らなくてもいいのに・・ひでぇよなぁ。」
「怒る・・・?皆で怒られたでありんすか?」
「そうですよ・・・ったく。」
「そりゃあ・・・皆銀八先生の・・・・・・・・・彼女とやらが知りたかったのであろう。黙っていたなど・・・ずるいではないか。」
言ってから、しまった今のは嫌味だったか・・と月詠は慌てて口に手をやる。それを聞いて銀八は、は?と首をかしげる。
「あ、もしかして月詠先生、話の途中で職員室出ました?」
「え・・?あ・・・ああ。」
「ああ・・・成程ねぇ、だからそんなしかめっ面してんだ。」
急に銀八がニヤニヤ笑い出した。いつもと変わらない笑みにムカッと来た。誰のせいでこんなにモヤモヤしていると思っているのだ、この男は。
「しかめっ面じゃと?別にわっちはいつも通りじゃが。」
「いーや、さっきから何か気に食わないって顔してますけど。」
「別に何も気にしておらぬ。」
「ふーん。」
「な・・何じゃなんで笑っておる。」
「良いこと教えてあげましょうか?」
ぐい、と銀八の体が迫る。思わず後ろに一歩下がると教室の壁に背中が当たった。
銀八の腕が壁につき、追いやられた月詠の体が逃げられないように、両端を遮る。
「こら、何をするのじゃ。」
「月詠先生、何か勘違いしているでしょ。」
「何が勘違いじゃ。こんな事してたら彼女殿に怒られるぞ。」
「だーーかーーら、それが。」
銀八がクックック、と笑う。
「今日、何の日だか知ってます?」
「・・・は?」
「4月1日。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あっ!!!」
「そう。」
思い当たった月詠の顔を見て、銀八がさも面白そうに笑った。
「あの後嘘彼女の話をして、最後にそれ嘘でした〜って言ったら皆に『騙すな!』って散々怒られたんですよ。皆ジョークが分からなくて困りますよねぇ。」
「・・・・・・・・・・。」
「月詠先生、途中で出ちゃったからなぁ。肝心な所聞いてなかったんだ。」
「・・・・・・・・・・。」
自分の間抜けさに、月詠は顔から火が出る思いだった。
子供向けの嘘にまんまと騙されて。
一人で悶々と悩んで。
挙句の果てに笑われて。
「そ・・そうか、それは残念じゃったな。分かったから手を離しなんし。」
内心の動揺を誤魔化すように横を向くと、月詠は銀八の腕から逃れようとした。だが、銀八の手は緩める事なく月詠の行く手を阻んでいる。
「先生、もしかしてヤキモチやいてました?」
「だ・・・誰がヤキモチじゃ!!!!」
「だってさっきまでずっとしかめっ面だったのに、さっきからずっと顔赤いですよ。」
「赤い・・・って!!」
意識したとたん、顔中がカァ、と熱くなる。
「まあ、俺も悪いんですけどね。」
銀八の顔が、目の前に迫る。首をすくめると嬉しそうに銀八の目が細くなった。
「ちゃんと言わないと分からないですよね、月詠先生みたいな鈍感な人には。」
「誰が・・・鈍感じゃ!」
「鈍感ですよ、俺の気持ちにも自分の気持ちにも、気がついてない。」
「・・・・。」
銀八の顔が段々と近づく。月詠は思わずきゅ、と目を閉じた。
「言って欲しいです?ちゃんと。」
「な・・・何をじゃ。」
「俺に彼女がいるって聞いて、ドキドキしませんでした?」
「・・・。」
返事の代わりに、ぎゅ、と唇をかみしめる。ハハ、と息だけで銀八が笑うのが分かった。
「さっき彼女いるの嘘って言ったの嘘です。」
「えっ!?」
「すいません、それも嘘です。」
「・・・っは!?」
思わず目を開けると、嬉しそうに銀八が笑っていた。また騙された。月詠の顔がさらに熱くなる。
くっくっと笑いながら、銀八はすいません、と言い月詠の腕を取る。
「俺が好きなのは、月詠先生ですよ。」
今度は嘘じゃないです。その言葉が聞こえた時、唇が柔らかいものでふさがれた。
終