その他
□カウンターひとつ分
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人と人の距離というのは見ていて面白いものである。
付き合い始めのカップル。
長年連れ添った老夫婦。
ただの職場の同僚。
水商売風の女性とその客らしき男。
口では喧嘩しているのに、ちょっとした拍子にお互いへの想いが垣間見える夫婦などもいて・・・。
男女の間には、その関係によって、微妙な距離感がある。
しがないラーメン屋ではあるが、長年店を開いていると、色々な客が見られて、それはそれで楽しいものである。
さて・・・
目の前にいるこの男と自分の距離はどの位だろう、とふと考えた。
初めてこの男が家に飛び込んできて、しばらく従業員として働いていた時はともかく、その後はいつも店主と客の距離である。
その距離はカウンターひとつ分。
遠ざかる事も無ければ、縮まる事も無い。
「今日はエリザベスはいないのかい?」
「あいつにもそれなりの付き合いがあるらしい。ペットにはペットの世界があるのであろう。」
そう言いながらも、男は少し寂しそうだった。
男は全ての人に対して誠実で正直である代わり、全ての人に対して同じ距離感で接している気がする。
エリザベスを初め、動物類に関しては全然違うのだが。
その真っ直ぐさがこの男の魅力なのであろうが、それが自分に対しても同じである事が、少し寂しくもある。
「まあ、たまには喧嘩せずにゆっくり食べなよ。とは言え、麺だからのびるまでの間だけどね。」
そう言っていつもの蕎麦を出すと、男は「うぬ」と言って食べ始めた。
他に客もいなかったので、自分はカウンターの内側で、椅子に腰掛け、男とたわいの無い話をする。
男は蕎麦をすすりながら、カウンターの向こう側でいつもの様にこの国の未来を語る。
それが自分達の距離。
遠ざかる事も無いが、縮む事も無い・・・。
ふと気付くと、鍋の蓋がコトコト言っている。
「いけない、火を弱めないと。」
急いで椅子から立ち上がると、クラリと来た。
そのまま、その場にしゃがみ込む。
しがみついたはずみで、椅子が倒れた。
「幾松殿、大丈夫か?」
男が心配そうに声をかけた。
「大丈夫・・ただの立ちくらみだよ。」
「顔色がよくないぞ。」
「たいした事は無い・・」
そう言いつつ、そう言えば最近忙しくて寝不足だった事を思い出した。
「季節の変わり目だからね。疲れが出たのかも。でも大した事ないから、心配しないで・・」
言いかけた時、男が動いて、カウンターの内側へ回り込んで来た。
「ど、どうしたの?」
男は椅子を元に戻すと、幾松を座らせた。
「スープは俺が見る。幾松殿は座っておくが良い。」
そう言って、着物の裾をめくる。
「いいよ・・お客さんにそんな事・・」
「いつも上手い蕎麦を食わせてもらっている礼だ。以前修行させてもらったからな。少しはできると思うぞ。」
そう言うと、男は笑った。
そして、そのまま鍋の方へ向くと、火加減を調節しながら、鍋をかき回す。
全くこの男は・・・
人が散々悩んで超えられない距離を、いとも簡単に乗り越える。
そして、その事に気付きもしない。
そう思いつつ、何故か心は温かかった。
「ほら、もう少し火を弱めて。」
「うぬ・・中々スープ作りとは奥が深い。」
少しだけ、今はこの距離を楽しもう。
少しだけ縮まった、この距離を。
終
◎いつも一定の距離感を保っている感じのする桂幾って結構好きです。ラブいのは想像外なのですが・・・。
しかし、これ以上近づく気がしないのも、桂幾の辛いところ(^^;
ちなみに・・最初の方の口げんかしつつ仲良しな夫婦は、勿論ウチの銀月です(笑)