□きらきら
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街も人も、まだ微睡みの中に居る、そんな時刻。


顔を出したばかりの太陽が夜明け前の白さを打ち払い、薄紅や橙で空を極彩色に染め上げる――早朝。


並盛町の北に位置する並盛山の中腹、眼下に町を一望する小高い丘の頂きには、瑞々しく葉を繁らせた大きなブナの木がどっしりと根を下ろしている。


その張り出した根の一つに、黒のスーツをピシリと着こなし、優雅に腕を組んで寛ぐ小さな家庭教師が居た。

顔の半分が帽子に隠されている為、その表情は窺えないが、口元は笑っているようだった。


最強を謳われる小さな家庭教師は、もうすぐやってくる一人の少年を待っている。

頬を上気させ、朝日を弾く銀糸をなびかせて真っ直ぐに前を見る、きらきらとした彼の強い輝きを、瞼に透かしながら。



『きらきら』









「おはようございます!リボーンさん!」

「おせーぞ、獄寺。そのままストレッチやっとけ。」

「はい!今日もよろしくお願いします!」

ほんの数分前まで広がっていた静寂を力一杯破って、獄寺の元気な声が響き渡る。

空気が俄かに活気づくのを感じながら、リボーンは預けていた体を、ぴょいっと一動作で立て直した。


2人が秘密の特訓を始めてから、そろそろ3ヶ月が経つ。

この3ヶ月間、毎朝獄寺はこの丘までランニングし、それから二時間程度の特訓を受けていた。


戦闘に関する事、銃器に関する事、時には語学や兵法などの理論を教わる事もある。


まるで砂が水を吸うように、ありとあらゆる事を「強さ」として、獄寺は吸収していた。


(獄寺のマンションからここまで15キロ走って、今じゃ余裕か)

リボーンは小さく鼻を鳴らして、ストレッチを始めた獄寺を見やった。


その顔は多少上気しているものの、息が上がった様子は無い。

むしろ余裕さえ感じさせる鼻歌がややウザい。


(最初はここまで来るだけで、随分ヘバってやがったクセに)


そのまま獄寺の様子を観察しながら、
着実に現れている特訓の成果を認めて、本人以上に喜んでいる自分に内心苦笑する。


(だが、まだまだだからな)


帽子を深くかぶり直して、リボーンは表情を引き締めた。


『明日から特訓だ』


あの時、
思わずそう言ってしまったリボーンを見つめる獄寺の顔は、涙でぐしゃぐしゃだった。

にもかかわらず、鮮やかな赤に染まった気迫は、瞬間、リボーンをゾクリとさせた。


その色。
その温度。

獄寺を見る度に、その強い覚悟が生まれた日の事を、思い返さずにはいられない。

そしてその覚悟に、全力で応えると決めた事も。


3ヶ月前…
それは壮絶を極めた、嵐のリング戦の、そのすぐ後の事だった―。


リングを賭けて行われた、嵐の守護者の戦いで、獄寺は敗戦を喫した。


爆風の中、主の為に命とプライドをかけて争う獄寺を止めたのは、その大切な主だった。


そのかわりに獄寺は、かけがえのない『大切なもの』を手に入れた。


ギリギリの死線で響いた主の声。


『君が居ないと意味が無い―』


それは小さな光となって獄寺の心に入り込み―

そして唐突に獄寺は理解した。


自分に欠けていると言われていた、『大切なもの』。

その意味を。


(オレは今まで何やってたんだ)

『大切なもの』を知らないからこそ強くあった反面、その情の軽薄さで、どれだけ主を傷つけたのか。

どれだけみんなを傷つけたのか―


(オレは、何もわかってなかった)

表面上は軽く装いながらも、その体中の傷の痛みすら凌駕して、深く心が傷ついている事に、リボーンだけが気付いていた。



皆が寝静まった頃、手当てを受けた獄寺の病室の前に立つと、リボーンはそっと中に滑り込んだ。


真っ暗な病室の中、小さな小さな声で、獄寺は泣いていた。


拳を握り締め、奥歯を噛み締めて、胎児のように体を丸めて。

悔しさ、切なさ、後悔、絶望、そして感謝、希望―

獄寺の心の中で渦巻く様々な感情が見えるようだった。


(今までのこいつなりの精一杯が、逆にこいつを傷つけてんだな)

無邪気に命を懸けると笑い、自分の存在がどれほど他者に影響を及ぼしているか気づきもせず、簡単に命を天秤にのせてしまう―


8歳で飛び出して、たった一人で生きて来たこれまでの獄寺の事を考えると、遣りきれない気持ちになった。


「獄寺。」

唐突に響いた静かな声に、シーツの塊がビクリと震えた。

「経験は、思い出になってこの先てめーの力になるが」

おずおずと銀色の頭がこちらを振り向いた。

「後悔は後悔のままだぞ。」


過去の過ちに捕らわれて、自分を責め続けていても何も変わらない。

前を向いて、その傷を乗り越えた先に獄寺の望む夢があるのだと教えたかった。


そう思って思わず声をかけてしまったが、ぶつかった獄寺の瞳の強さに、次の言葉が出なかった。


(こいつ、乗り越えてやがる)

反射的に上がる口角を、リボーンは止められなかった。


「リボーンさん、俺、今までの自分を果たしてやりたいっす」


そう言った獄寺の声は涙でかすれているのに、顔は困ったように笑っていた。


「果たしてやりゃいーじゃねーか。新しい獄寺は、とっくに生まれてんだろ。」


リボーンは強気を煽るように、ニヤリと笑ってみせた。


強く真っ直ぐな視線を一瞬下に落として、獄寺は最後の涙を一粒零した。

「オレ、強くなります。」

再び戻された碧の瞳は更に輝きを増して、決意の強さを物語る。

獄寺はベッドを降りて、小さな家庭教師の前に正座すると、そのまま頭を下げた。

「申し訳有りませんでした。」

「何の謝罪だ。」

いろいろッス、と言って獄寺はまた笑った。

「そして、ありがとうございます。」

(上等じゃねーか)

リボーンは、心の中で安堵した。


(無駄な事なんか無ぇって事だな。)


獄寺の心に住んでいた、昏い瞳のスモーキン・ボムは今日、本当の意味で生まれ変わったのだろう。

ならば、自分がしてやれる事は一つだけ。

「明日から、特訓だ。俺が鍛えてやるから覚悟しろよ。」


驚きに見開かれた獄寺の瞳はすでに炎を宿していて。

リボーンは、彼を取り巻く赤い覚悟を美しいと思った。

(ヤブ医者と同じ穴の狢じゃねぇか)


きっと獄寺は強くなるだろうと思った。


きらきらと輝く未来には、今日の傷すらお釣りの来るような、夢のような日々が待っているのだから。

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