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□馬鹿正直なわけ
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えぇん、えぇんと私は泣きじゃくった。

まま、どこ…どこ…と、何度も呟いて。

…子どもながらの、遠慮することを知らない…無邪気さで。


「…ふぅん」


不意に、再び頭上から声が響く。そして…もう一度。


「…そっかぁ」


…優しい、響き。まるで、全てを包み込む様に。


「じゃあ…一緒にママを探しに行こう」

「ふぇ…?」


私はまた、首を傾げる。


「…ね?」


にこ、と微笑む彼は、ハンカチを差し出したその手を再び差し伸べた。

…不思議なことに、私はすんなりとその手に自分の手を重ねた。

私の方が…一回り、小さなその手を。


「よし…ほら、いつまでも泣いてないで、立って」


そう言って、彼は繋いだ手をぐいっと引っ張った。

それにつられて、私も立ち上がる格好になる。


「…あ、ありがとう…」


私はぼうっとした顔でそう言うと、彼はうん、と答えてくれた。

そして、私の手をぎゅっと握る。

その手からは…温かい、ぬくもりが伝わって来た。

それを今度は私が握り返すと、彼は微笑み…歩き出した。

私も、彼と共に歩き出す。


「あの…おにいちゃん…?」

「うん?」


私は隣で歩んでいる彼を見上げ、そう口にした。

果たして、彼のことを『おにいちゃん』と読んでいいものか迷ったものだが。


「ねぇ…どこ行くの…?」

「君のママを探しに行くんだよ。

あ、そういえば…君、どこの幼稚園?」


私は知っていることを言えるのが思わず嬉しかった。


「さくら幼稚園、たんぽぽ組!」

「じゃあ、名前は?」

「なお!…なお、だよ。かんざき、なお!」


先生に教えられたとおり、はきはきとした声でそう答える。

私は笑顔を浮かべた。


「そっかぁ、じゃあなおちゃん。

ママはどんな服を着てたか、分かる?」

「うん!えっとね…」


彼は、優しく私に問いかける。

いつのまにか私は、知らないうちに泣きやんでいた。

優しい彼の、おかげだ。


…どのくらい、歩いていたのだろう。

覚えていない。

けれど、今でも明確に…鮮明に覚えているのは。

…繋いだ手の、温かさ。

“おにいちゃん”の、温もり。

その手の温もりは、心の温もりだ。

…彼は、歩いている間に様々な話を聞かせてくれた。

そのどれもが、楽しくて。

けれど、そのどれも今では既に曖昧な記憶でしかなくて。

…私は、ひたすら笑っていたことしか覚えていない。


「……あ!」


そのときだった。

隣に並ぶ、彼の驚いた声。指差すその先に居たのは…


「あれ、もしかして…」


私は彼の人差し指の先を追った。そこには…


「まま…!」


間違いなく、私の母親だった。

あちらも私の声が聞こえたのか、はっとしてこちらを見つめた。


「…直!」


手で口元を押さえるその姿は、まぎれもなく私を探していたのだということが見てとれる。


「ままぁっ…!」


私は、慌てて母親の方へ走った。母もまた、私の方へ小走りに駆け寄る。


…私は母に抱き締められる。

嬉しかった。自然と笑みが零れる。


「直…直…良かった…ママ、探してたのよ」

「うん…なおもままを探して…そしたら…」


そこで私は言葉を切った。

ごめんなさい、と謝る。元はと言えば、私が勝手に離れたのが悪いのだから。


「…それで、はぐれちゃったのね…いいのよ、直。

…ママもいつもより待たせて悪かったわ」


私の母親は…優しい。滅多に叱ることが無い。

母のそんな笑顔を見て、私はますます嬉しくなった。


「…ねぇ直。そちらのお兄さんはどなた?」


私は母親の視線の先…背後を振り返った。

そこには、彼が立っていた。

私をなぐさめ…私と共に、母を探してくれた人。そして、見つけてくれた。


「…良かったね、なおちゃん。ママが見つかって」


にっこりと微笑む、彼。


「うん!ありがとう、おにいちゃん!

ママ、あのね…おにいちゃんがママを見つけてくれたんだよ!」

「まぁ…そうだったの。

ごめんなさいね、うちの子がご迷惑をおかけして…」


母は、彼に頭を下げた。しかし、彼は気にするでもなく、


「いえ。無事に出会えて良かった」


と逆に、頭を下げ返す。


「本当に、どうもありがとう。お礼に、うちにいらっしゃいな」


いえ、結構です…丁重な態度で母の誘いを断る彼。

しかし母は、どうしても何かお礼をさせたい様だ。

彼も、困惑した様に苦笑を浮かべ、それを断る。


「…そんな。本当に、お礼なんて結構ですから。

…あ、でも…そうだ…!」

「なぁに?何でも、構いませんよ」

「…なおちゃん。君に、言っておきたいことがあるんだ」


え?…と、不思議そうな顔をしてみせたのは私だけではなかった。

私の母もまた、彼の顔を不思議そうに見ていたのだ。


「…なお、に?なぁに?」


私は首を傾げる。

そんな私の前に、彼は膝を折って目線を合わせた。優しく微笑む。


「…お礼なんていらないけど、なおちゃん。

君に、これだけは覚えておいて欲しい…


人間は、真面目に正直に生きていれば…

きっと、幸せになれる…ってこと」


…彼の目は、真剣だった。私は、その言葉を聞き返す。


「まじめに、しょうじきに…?」

「そう。それだけは…覚えていて欲しい。

…できるかな?」


うん!…と私は元気よく答えた。


「おにいちゃん!なお、まじめに、しょうじきになるよ!

だって、そうすれば…しあわせになれるんでしょ?」

「うん、これはね…僕のお母さんが僕にいつも言ってくれる言葉なんだ。

だから、なおちゃんにもそうなって欲しい」


笑顔で、私は何度もうなずく。

まぁ、なんていい子なの、と母が彼に感嘆の声を漏らすのが聞こえた。


そして…


「じゃあーねー!ばいばぁーい!」

「うん、じゃあね」

「またあおーねー!」


母に手を引かれる私と、“おにいちゃん”は…その場で別れた。

私は、後ろを向いて…

いつまでも、手を…振っていた。


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