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□とある日の失敗!
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とある日の、夕方。


彼女の楽しげな鼻歌と、とんとんとん…と小気味よく聞こえてくる、包丁がまな板に当たる音。

彼女が自分の為に夕食を作ってくれているからだ。

それはいつも通りの日常で、何も変わらない。

…かの様に、思えた。

その瞬間。


「っ…!きゃっ!?」


短くも…しかし危機的な悲鳴が聞こえた。

それはまごうことなき彼女のものだった。


「!?」


反射的に、キッチンまで移動する。

…一体何があったのだろうか。


「どうかしたか?」


彼女の元へと駆け寄る。

すると彼女は自分の存在に気付くとはっとして、慌てて取り繕うような笑顔を浮かべた。


「い、いえ…何でもない、です」


その言葉に、俺は思い切り顔をしかめた。

…明らかに怪しすぎる態度についてはこの際どうでもいい。

見ると、彼女は自分の目から隠すかの様に左手の指を右手で覆って押さえていた。

まな板の上には、まだ全部切り終えていないらしい野菜と…包丁。

それだけで、何が起こったかは充分分かった。


「……切ったのか」

「ち、違います!!」


どうやら彼女は、誤って包丁で指を切るなどとという単純な失敗をしでかした事実は、自分には知られたくないらしい。

はぁ…と溜め息を吐くと、右手で隠そうとする彼女の左の手首を無理矢理ばっと掴んで取り上げた。


「きゃ…!」


見るとやはり、彼女の左手の人差し指からは赤く盛大に出血していた。


「…やっぱり切ったんじゃないか」

「う…それは…」

「この俺に隠し通せるとでも思ったか?」


そう言い切ると、彼女は降参したかの様に俯いて、うぅと唸った。

しかし、すぐに微笑みを浮かべてみせる。


「別に…これくらい、平気ですから」

「いいから貸せ」


そう言って、掴んだ彼女の手首を上へと持ち上げる。

そして…

鮮血が流れる人差し指に、ゆっくりと舌を当てた。

それをそのまま…口へと運ぶ。


「秋山、さん…!?」


驚いて声を張る彼女を無視し、彼女の指を咥えてただ血を舐め取る。

…口内に血液特有の錆びの様な匂いが広がるのは少し不快だったが、それが彼女のものならむしろ心地良いものでもあると思えた。

傷口は思いのほか浅いらしく、心の中で安堵する。


「秋山さん…!」


見遣ると、彼女は頬を薔薇色に染め赤面していた。

どうやら、自分に指を舐められているという事実が恥ずかしいらしい。

顔を赤らめながらも…じっとこちらを見つめてくる。


「やめ、て…下さい…」


…そんな顔で見つめられて、誰がやめる事など出来ようか。

むしろ、元来自分の中に備わっている嗜虐心を煽られて、彼女を苛めたいという本能的衝動に駆られる。

それを行動に移すのは…いとも容易かった。


舌の位置を傷口から少しずらすと、くちゅ、という音をわざと立て…彼女の指を吸う。


「や…っ!」


期待通りの反応をしてくれて、思わず口端が吊り上がる。

…あぁもう、どうして彼女はこうも俺という人間につくづく苛めたくさせるのだろう。

彼女の細い指に歯を立て、痛くない程度に甘噛みすると、彼女はぎゅっと目を閉じた。

それを見て心の中だけで嗤うと、咥えていた指をゆっくりと取り出した。


「どうした?…直」


くす、と嗤うと、彼女は閉じていた目を開けてはっとした。


「な…!///」


瞬時に、からかわれていたのだと気付いた彼女はますます顔を赤くさせる。

…そんな姿が、また可愛らしい。

にやにやと笑みを浮かべながら、目線を彼女から先程まで自分の口の中にあった彼女の指へと移す。


「指先だけで…感じたのか?」

「っ…!///」


ぶしゅう、と音を発し蒸気が上がりそうな程の勢いで顔を真っ赤にさせると、彼女はぶんぶんと千切れんばかりに首を振った。


「ちちち違います…!!///」


林檎の様な表情で彼女は思い切り否定する。

…事実なんだから否定しなくていいだろ、と心の中で呟く。


「…念の為、ちゃんと消毒しておくんだな」

「あ…はい」


こくんと頷いて、彼女は救急箱を取りにパタパタとキッチンから移動する。

ふっと微笑んで、自分も元居たソファに座り直した。

シュッシュッと消毒液の音を立てながら、彼女は傷口を消毒していく。


「でも、どうして指なんて切っちゃったんだろ…

いつもなら、こんなこと絶対ないのに…」


ぶつぶつと、彼女が独り言の様にそう呟く。

やはり、誤ったとはいえ包丁で自分の指を切ってしまったという事実が不満らしい。


「…まぁ、たまにはいいんじゃないか」


ソファから彼女に向けて言い返すと、彼女はくるりと振り向いてこちらを見つめた。

指にぺたり、と絆創膏を貼り付ける。


「どうしてです?」


理由を問われ少し逡巡したが、すぐににやりと笑ってみせる。


「…俺としては良い出来事だったからな」


え?、と彼女はその意味を理解していない様子だったが、すぐにそれが分かった様だ。


「っ…!!///意地悪…!///」

「今に始まった事じゃないだろう」

「うぅ…!」



…とある日の、失敗。

そんな失敗もいいかもしれない…と思った、そんなとある日の夕方。



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