湯Z編

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─『お互いの思い出に過ぎ去った悲しみの重荷を背負わせるのはよしましょう』─






そう言って彼女は笑った

曇りのない冷徹な瞳で


彼女はとても綺麗に微笑んだ

































「この場合、貴方と私。どちらが悪いのでしょう?」




「名無しさんちゃん、怒ってる?」



「まさか。呆れています」




「…怒ってるよね、それ」








夕暮れの自習室
待ち合わせというほどでもないが口約束をしていた




ただ学校の帰りに教師に捕まってしまい、10分遅れで到着した自習室にいたのは





『ねぇ、ルルちゃん。俺とキスしてみる?』





他の女を壁際に追い詰めて吐息が掛かるほど顔を近づけた彼





『あら、取り込み中でした?…それともコレを見せたくて呼び出したんですか?』





うろたえる訳でもなくヒステリックになる訳でもない


ただ不思議そうに首を傾げた私にギョッとした少女は彼を突き飛ばして、私の脇をすり抜けて逃げていった





『別に逃げなくてもいいのに。そう思いません?アルバロ』






「…普通、逃げるよ」






こちらから話かけるまで無言だった彼に微笑んだら、恨めしげな視線を返された






『そうですか?じゃ、用事は済んだんですよね?私、これから魔法の実験をするので、失礼しますね』




特に感情も込めず淡々とした口調で告げ、私は顔を上げないアルバロに背を向けた







「…待てっ!」



『嫌です。戯れに付き合う時間はないんです。明日はヴァニア先生の授業があるので』





足早に去る私をアルバロは慌てた様子で追いかけてきた







「なんで、怒らない!」



『怒る理由がないからです』



「なんで問い詰めないんだ!」



『私が問うたらアルバロは素直に答えるんですか?』



「…っ、どうして、そんなに冷静でいられるんだ!」



『では、アルバロはどうしてそんなに取り乱しているんですか?』







玄関ホールを抜け中庭に来た所で私は足を止め振り返った





『むしろ、アルバロにも開き直って欲しいくらいです。…そうですね』






夕陽を浴びている割に青ざめているアルバロに私はいつものように微笑みかけた







『─われわれはみんな大悪党だ。男など誰も信じちゃいけない─…という具合に』




「…君のお得意な、シェイクスピアの台詞だよね?」




『ハムレット。第三幕、第一場ですよ』




「普通、悲劇の台詞をここで引用する?」




『コイビトに浮気された女は悲劇ではないんですか?』





傷ついているというにはあまりにも遠すぎる名無しさんの表情にアルバロは苦笑した





「…痛いとこつくね。恋人なんて思ってないくせに」





『あのですね、アルバロ』




にこっと笑ったまま私はアルバロから一歩離れた





『貴方が快楽を満たすために私を利用していたように、私は寄り付く虫を払うために貴方を利用していたことぐらい、分かっているでしょう?』





「…僕は途中から本気だったって言っても?」





俯いた彼の震える声に私は容赦なく本音を吐き出す




『そうですね。貴方はいつも嘘ばかりですから。信じろといわれても無理な話ですよね』




「…君にしたキスは嘘じゃない」



『ねえ、アルバロ。』



「…?」





ぽつり、と俯いた彼の唇から零れた言葉に私は夕陽を背に笑った










『─お互いの思い出に過ぎ去った悲しみの重荷を背負わせるのはよしましょう─』




「…また、シェイクスピア?」




『これは、テンペストです』




「…名無しさんちゃんは、博識なのか、ロマンチストなのか分からない」




『シェイクスピアは基本的に悲劇ですから。それをロマンチストとは呼ばないんじゃないですか?』



「前に話してくれた髪の毛のお姫様はハッピーエンドだったよね?」



『あれはラプンツェル。シェイクスピアではない、別のお話ですから』




「じゃ、僕らのお話は?」




『少なくともハッピーエンドではありません』




「手厳しいなぁ…」




ばっさりと切り捨てた言葉にアルバロはまいったなあ。と苦笑を浮かべたままだった





『見え透いた嘘は嫌いです』






ただ退屈しのぎに
快楽を求めて



私という玩具で遊んでいた子供
私という玩具が壊れれば
新しい玩具に変えるだけ
        

そんな彼の言葉を
私が信じるはずがない






          *











名無しさんは一歩一歩
俺から離れていく




「でもさ、名無しさんちゃん」




『なんです?』




正体を隠す必要はない
彼女は俺が何者だろうが
何をしていようが
興味を示さないのだから





「バットエンドでもないだろう?」



『なら、ゲームオーバーってとこですかね』




「それも違うな」




『答えの出ない堂々巡りも、押し問答も嫌いです』








手の届くか届かないか
微妙な位置で止まった名無しさんに俺は手を差し延べた





「ここからが始まりだ」




『…セーブデータはリセットですか。質が悪いですね』





眉間にシワを寄せた名無しさんがどうかこのまま離れていくことのないようにと俺はその距離を一歩詰めた





「俺はそういう男だからな」




『ねえ、アルバロ。』






そうして彼女は
今日何度目かの笑顔を俺に向ける
































『それも、悪くないかもしれませんね』




†End†
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