シンビジウム


□two
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「名無しさんー!まだか?」


「ちょ、待って…!」






あたしがオーナーになったことを心から喜んでくれた左之が「お祝いするか」と言い出したのは約20分前の出来事



とりあえずどこかご飯でも食べに行こう、と誘われ慌てて身支度を整えているあたしを左之は遠くから眺めつつ時折急かす






「早くしねえと置いて、…!」


「あ…」




苦笑混じりに歩み寄ってきた左之の携帯から流れる小さなメロディ


優しい音色のオルゴールのようなそれは今のあたしにとっては死刑宣告と同じだった







「あ、ちょっと待っててくれ」



慌てて離れていく左之にあたしは化粧していた手を止めた

どうせ無駄になるんだから
これ以上しないでおこう
というのが本音だ






























あのメロディを初めて聞いたのは今から一年ほど前だった


左之は流行りの曲をよく知ってるしセンスもいいからオルゴールに似たそのメロディが似合わなくてやけに耳についた




初めてメロディを聞いた日の夜
左之は「急用ができた」 と慌てて出掛けていった


帰ってきたのは夜が明けてから


何をしていたのかという質問に
「どうしようもない、酔っ払いを迎えに行ってた」と左之は答えた



あの時のあたしはそれで納得して。それ以来あのメロディは「どうしようもない酔っ払いの男友達」専用のメロディだと思ってた




そのメロディが一月に一回もしくは二回の頻度でかかってくるようになった時、あたしはようやく異変に気づいた










まずその電話がかかってきたら
左之は慌てて出かけること


たいてい3時間、もしくは朝まで帰ってこないこと


出掛けた日は帰ってきても
あたしを抱かないこと





そんな日々が続いたある日
またメロディに呼び出された左之が帰ってきたとき女物の香水の匂いがした


甘く柔らかな可愛い匂いでその瞬間あたしは左之の浮気を確信した







だけどあたしは左之に捨てられたくなくて問い詰めることが出来なくて。



せめて「どうしようもない酔っ払いの男友達」からのメロディがならないようにと祈るぐらいしかできずにいた







けれど年月を重ねるごとにメロディは頻繁に鳴るようになって、あたしの心は擦り切れていく



このままじゃダメだ
あたしは彼のおもちゃじゃない


そう思ってあたしは
自分に誓いをたてた



「左之があと十回浮気したら
彼の前から姿を消す」





きっとまわりの人はバカバカしい誓いだと思うだろう


だけどあたしはその「十回」に
縋り付いてなきゃ生きていけないほど彼に溺れていたから。





それからあたしはメロディに呼び出される左之の背を見送りながら着々と近づく別れの時にただ、声にならない叫びをあげていた






















「あの、よ。名無しさん…?」



「…いいよ」





部屋に戻ってきた左之があたしの反応を伺うように小さな声で呼ぶ



でもそれに返事をするのさえ今のあたしには辛くて、苦しくて、



一言、呟く




「大事な友達なんでしょ?…早く行かなきゃ」




ね、と振り向けば辛そうに眉間にシワを寄せた左之があたしを見つめていた





なんで貴方がそんな顔するの?

泣きたいのはこっちだよ?

辛いのはあたしだよ?



だいたいあのメロディはつい一週間前にも鳴ったじゃない


なんで今日なの?
なんで今なの?

あたしの、最高の日を、どうして、めちゃくちゃにするの?






そんな気持ちをひた隠しにして
「ほら、早く」と急かせば左之は悪ぃ、と呟いてあたしに背を向けた








































バタバタバタ…



走り去っていく足音を聞きながら


あたしは部屋の隅にうずくまった








「…っ。さよ、なら。…左之」






─今日で十回目の、あのメロディ─
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