蒼海
□灰色と蒼色
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部屋の隅で誰かがうずくまっている。拗ねているようだ。その姿を見て老婆の人魚は微笑んで、美しい金色の髪を撫でてやった。
「おばあさま…。」
孫の青い瞳がこちらを向いた。
「アリシア、どうしたんだい?ここに来たらまたお父さんに怒られるよ?」
「いいのよ、知らないわ、あんな父親。」
「おやおや、またお父さんと喧嘩でもした?」
「うん…そう。」
「こんな隅にいないで、あっちの方で話そう。ね?おいで。」
祖母の言葉に頷いてアリシアは部屋の中央の方へと泳いだ。小さなテーブルを挟んで二人は向かい合って座った。少し伏せられたアリシアの目が、娘にそっくりだと祖母は思う。そう、この子は6人姉妹の中で王家に嫁いでいった一人娘に一番似ているのだ。
「で、どうしたんだい?何があったの。」
アリシアは祖母を見つめた。
今は亡き母方の祖母である。いつも相談に乗ってくれる優しい人。彼女は海の医者のような存在で、様々な薬を作り、時には不思議な魔法も使う。物の色や形を変えるだけの小さな魔法。大それた魔法ではない。
地上のことや人間についてアリシアに教えたのも彼女である。本当に多くのことを知っている物知りだが、地上のことについて簡単に話したり、アリシアが人間に興味をもつことを咎めないことから、まわりからは変人扱いされていた。特に、海の王であるアリシアの父には相当嫌われてしまっている。
「最近、お父様がいろんな男性に私を会わせたがるの。」
「あらら、結婚相手?」
「そうよ、『彼はどうか、なかなかハンサムだ。…だめ?じゃあ、彼は?生まれもいい。頭もいいと評判だ』ってそればっかり。それも堅苦しい人だったり、やけに自信過剰だったり、自惚れだったり、こっちがうんざりするような人ばかりよ。…でもそれくらいだったらいいの。」
「へえ?」
「欠点なんて誰にでもあるわ。だからそのあたりは気にしないの。」
「じゃ、どこが嫌なの。」
「私が『地上って素敵じゃない?』って言うと変な顔するの。まるで変人をみるような目で私を見るのよ。」
祖母が笑う。
「それはお前にとっては吐き気がするくらい嫌だろうねえ!」
「ええ!虫唾が走るわ。それも軽蔑するような目で見てくるのよ。あんなの、こっちから願い下げだわ。もう嫌なのよ。あんな狭い城に閉じこもってるなんて。お父様もお姉さまも私の気持ちなんて分かってくれないんだもの。」
全部吐き出したら楽になってしまった。やはり、祖母に話すと楽になる。祖母ならばいちいち文句を言ったり、説教したりしない。黙って頷きながら聞いてくれる。アリシアはそんな祖母を心から慕っていた。
アリシアはふと祖母の家の中を見回す。どこかが少し変わった。あっと気づく。物が増えたのだ。大きな、綺麗な絵。人が二人、浜辺を歩いている絵画。
「おばあさま!また絵が増えたのね!」
壁に掛かっている絵画に孫が近づいていく。
「ああ、この前沈没船を見つけてね。もらってきたんだ。」
「へえ…これって、太陽?」
絵画の中の白い丸く書かれているものを指差す。
「そうだよ。」
「私も太陽を直に見てみたい…。」
「でも海の外に顔を出してはいけないよ。それはいくら私でも許せないからね。」
「分かってるわ。掟だもの。」
そう、掟。わかってる。海の世界の絶対に破ってはいけない掟。破れば永遠海の底。それは王の娘だろうと関係がない。
「でも、水面近くに行けば太陽の光は浴びれるでしょう?」
この綺麗な光を身体全身で浴びてみたい。きっと想像もできないほどの暖かい光。アリシアはそう思う。
「でも水面も今は危険だよ、アリシア。人間たちの大部分は人魚を信じてないけれど、必死に血眼になって探してる人間もいる。捕まったら売られてしまうよ。」
「売られるの?どうして?」
「珍しいからね。珍しいものを欲しがる人魚がいるだろう?それと同じようなものさ。人間にとって人魚は珍しいモノでしかない。」
人間のそういうところは恐ろしいと思う。でも興味を持ってしまうのはどうしてだろう。それはアリシアにも分からない。
再びあたりを見渡して、小さな人間の銅像を見つめる。男の人の顔がない全身像。きっと壊れて首だけ取れてしまったのだ。
アリシアはその像の足に触れてみる。
「やっぱり人間は尾ひれじゃなくて変なものが腰から生えてるのね。これ、何だったかしら。」
「足のこと?」
「そう、足。これって本当に不思議。これで地上を歩いてるんでしょう?」
「そうだね。」
「こんな細いもので歩けるものなのかしら。それも2本で。」
「さあ、それは人間に聞いてみないと分からないね。」
銅像から目を離すと次に飛び込むのはよくわからない棒切れや固い器のようなもの。ところどころに綺麗な装飾がなされている。人間って器用な生き物ね、ふとそう思う。