蒼海
□騎士として
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「まったく、早朝からなんだと思ったら、まさか裸の女の子連れてくるなんて!あんたもやることやってるんじゃないの。王子のこと注意できないわね〜。」
その言葉にクラウドが顔をしかめる。
「そういうことじゃない。朝の王宮はとてもじゃないけど慌ただしくて連れて行ける状態じゃなかったんだ。あなたも知ってるだろう。」
彼女は適当に聞き流しているようだった。ふーん、と魔の抜けた返事ばかりである。するとふと顔を上げ、時計を見てからクラウドに目をやる。
「クラウド、あんた王子様のところへ行かなくていいの?もうお起きになってる時間じゃない?」
「休みを頂いた。本当なら兵士の剣の稽古をつける予定だったから、その分の休み。」
「あら、兵士放ってきちゃったの?」
「ちゃんと埋め合わせをするって言っておいた。」
ふーん、と彼女は言った。やはり聞き流している。
「それにしても連れてきたその子はしゃべれないし、立てないし…。今までどうやって生活したのかしら。」
そう言って彼女は奥ですやすやと眠ってしまっているあの娘を見やった。
「だから人魚だって言っただろう。」
今度は彼女がその言葉に顔をしかめる。
「クラウド、あんたね、その言葉聞いたら死んだ私の父さんが泣くわ。」
彼女の名はアイリーンといった。その父は有名な兵士でクラウドに剣を教えた張本人である。そんな父をもつ彼女もまたかなりの剣の腕を持っていた。昔は女兵士になると言い張っていたのを思い出す。
その彼女の言葉を聞いてやはり、とクラウドは肩をすくめてしまう。自分より4つ年上で姉のように慕ってきた彼女でさえそんな扱いならば、王子や王、王妃に『彼女が人魚だ』などといったらきっと自分が病院に送られてしまうだろう。
「あら、起きたのかしら。」
アイリーンが奥を覗いてそう言う。そしてガタンと何かが倒れたような音が響いた。
「だ、大丈夫!?」
2人が急いで奥の部屋に行くとアイリーンの白い寝巻に身を包んだ彼女が床にぺたんと座り込んでしまっていた。蒼い目が驚いたように見開かれている。動いてベッドから落ちてしまったのだろう。
「ちょっと、クラウド、彼女を戻してあげて。」
クラウドが彼女を抱き上げてベッドに戻した。やはり軽い。まるで体重を感じさせない軽さだった。知らない顔に彼女は目をぱちくりさせてアイリーンを見つめている。アイリーンは笑った。
「この人誰って顔してるわ!かわいい!」
そんな声を上げて、アイリーンは彼女の隣に腰かけた。
「私、アイリーンよ。あと、そっちの間抜けな顔してるのがクラウド。よろしくね。あなた、名前は?」
その質問に彼女は口を開くが聞こえるのは掠れたかすかな声。さっきよりは出るようになったのかと思うがそれでもまだ話せるまでには来ていなかった。
「そうよね、声が出ないのよね。…じゃあ、これ。」
アイリーンは紙と羽ペンとインクを持ってきた。
「これに名前書いて。」
しかし彼女は渡された物が何であるか分かっていないようだった。不思議そうにそれを見つめている。
「あなた、これも知らないの?あなたの国って進んでないのねえ!」
「だから、人魚だって…」
「あんたは黙ってらっしゃい。」
そんなことを言われてしまっては黙っているしかない。
「これはね、こう使うの。」
アイリーンは羽ペンにインクをつけて自分の名前Ireneと書いて見せた。なるほど、というように彼女もアイリーンからペンを受け取り、さらさらと自分の名前を書きはじめる。クラウドも上からそれを覗いた。アイリーンの名が読めたということは人魚の世界でも同じ文字を使うのだろうか。
Alicia
アリシア
それが彼女の名前。蒼い瞳の人魚の名前だった。
「アリシア。いい名前ねえ。」
その言葉に彼女が笑う。まるで穢れをしらない無垢な笑顔。その表情に少し胸が高鳴ってしまう。
「ねえ、アリシア。お生まれはどこ?」
アリシアはゆっくり窓の方をみやって指をさした。その白い指の先に広がるのは蒼い海である。
「海?海の向こうの国かしら。」
彼女は首を横に振る。そして助けを求めるようにクラウドを見つめた。『あなたならわかるでしょう?』と言っているようだった。クラウドは窓の外に広がる海を見やる。蒼く、広がる壮大な海。人魚の世界。
「…海だ。」
アイリーンは呆れたようにため息をつく。
「あんたは黙ってなさい。アリシア、こんな変な男に任せちゃ駄目よ。この子はちょっと人魚とか、そういうこと夢見ちゃう人なの。…海の向こうの国のことなのね。言語が同じってことは隣国なのかしら。…でも金髪なんて珍しいし…うーん…」
そんな時、扉をノックする音が聞こえてきた。
「あ、お医者様だわ、呼んでおいたのよ。」
やがてアイリーンが連れてきたのは王宮でもよく出会う年配の医師である。
「おお、クラウド。元気だったか。」
「…昨日お会いしましたよ。」
「そうだったかの。おまえさんは王子の後ろのぴったりだからな、分からんのだ。」
そう言って医者の老人は笑う。