狂犬柴犬〜人に成れない俺を愛して〜

□31〜40章
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31.疑心暗鬼





「綺麗で可愛くて」
そんな風に広輝がフィアンセの話をしだす。
聞きたくなくて、苦笑いをした。

本当は慰めて欲しい。

そんな気持ちを押し殺して側に居るのに。
真琴にされてから…ずっと痛かった。
友達なのに裏切られて、痛かった。
けど、穢された事を広輝に知られたくなくて、俺は黙ってた。
言えるわけなんか無い。
言える訳もない。

愛してる。
だから、この罪は永遠に黙って、秘密にするんだ。
何事も無かったかのように傍らに居ると決めたんだ。

罪だと思うのは…どうしてかな?

そんな気持ちも掻き消して、俺は広輝の側に……。
広輝の側に居るのに…
「とっても優しい人でさ。困ってる人を見ると放っとけないらしくて」
フィアンセの話をしながら笑う広輝。
どうして?俺と居るのに彼女の話をするの?

今日は抱いてもくれない。どうしたの?

一欠けらの不安が、どんどん育っていく。
その欠片は、他の不安も吸い取って育っていく。

抱いてもくれない…で帰るなんて変じゃない?

「広輝?」
「時間が急に減ったんだよ。でも、愛してる」
白々しい言葉に聞こえた。
あんなにも嬉しかった言葉が急に嘯いて聞こえる。

痛い…。

キスだけじゃ繋がった気にはなれない。



俺の罪が、幸せを壊していく気がした。



友達だからって信じてたから?
平気だって思ってたから?
期待してなかった…本当だよ?
真琴と過ごした日に生まれた、知った感情は枯れてしまった。
一生誰も愛さないって決めてた。
愛せないって…決まってた。
それを助けてくれたのは広輝だったんだよ?
広輝だけが、俺のこの心を受け入れてくれたんだよ?
それなのに…今になって好きだなんて酷い。
俺は広輝を愛せて、愛されて幸せになれたのに酷い。
まるで、本当の気持ちを見透かしてるみたいに離れていく広輝。
逢う時間が減っていく。
繋がりも薄れていく。

お願いだよ。俺は広輝だけが好きなんだ。
信じてよ…俺は広輝だけが好きなんだ…。
誰も好きにならないよ…広輝だけが好きだから…。

痛かった。

胸が…真琴と繋がったそこが。
広輝が遠のいていく。
普通の幸せが、そんなに良いの?
俺を愛してくれたのは嘘だったの?

急に届かない。
急に独りぼっち。
会社に行って、俺だけが不幸になる。
騒がしい人と親友が楽しそうに笑う。
それは、ごく日常の社員同士の話し合いなのかもしれないけれど、俺の気持ちはどんどん悪い方に進んで行く。
「うっひゃっひゃ!癒羅の淹れてくれる激甘コーヒーんまい!この味は癒羅にしか出せないよねぇ!!」
「だ…誰にだって出せますよ。砂糖とミルクを入れれば…」
別の課から遊びに来る彼は、癒羅のコーヒーだけが目当て…だったら良いのに。
「雅美さんは仕事…ちゃんとしてるんですか?」
「俺?してるよ?してるから来るの!してるから息抜きに来るんだって!!」
「本当ですか?」
「だってさ、好きなんだもん。好きだからさぁ〜」
ドキっとした。
俺が不幸になっていくのに…何で?
癒羅は普通の人だろ?
俺と同じ幸せを求めて、自分だけが幸せになる?
止めろよッ!
「癒羅のコーヒーが!癒羅のコーヒーが…だからね!?」
騒がしい人…雅美さんが俺の方を見て…どうしてだろう。
俺の気持ちを知ってるみたいに、だからこそ言い訳するみたいに言った。
「そんな風に念を押して言わなくても分かってますよ。悠羅は」
癒羅が苦笑いを浮かべる。

そんな心遣いが俺を追いつめる。

誰から見ても、今の俺は幸せに見えないんだ。
どう見ても、もう駄目に見えるんだ。
どうして広輝は変わってしまったんだよ。
俺を愛して…結婚しても変わらないって言ってッッ!!
「悠羅…きっと大丈夫ですよ。あの人は愛してくれてますよ」
他にも人がいるから、癒羅は名前を出さずに、小さな声で俺を励ましてくれる。
けれど、そんな癒羅と対照的な姿が俺の目に入った。
雅美さんは俺から目を逸らし、癒羅の言葉を否定して、俺の不安を肯定するみたいに、とぼけた顔をしていた。
そんな姿を見て、俺は“雅美”というこの人が、急に何者かという疑念が浮かぶ。
この人はいったい誰なんだろう。
この人はいったい何なんだろう…。
「お…俺、帰る。俺、邪魔みたいだから帰ろうかな?帰ろう!ね?帰るから」
俺の顔を見て、慌てて逃げ出す。
俺は追いかけた。
「ゆ…悠羅?ちょっと…どうしたんです?」
そんな俺を癒羅が追いかけてくる。
「お…俺、俺は何も知らないよ?知らないんだから!」
逃げる雅美さんを俺は追いかける。

藁にも縋る気持ち…だったのかもしれない。

「俺、知らないってぇ〜!知らないんだってぇ〜ッッ!!」
知ってるから知らないって言ってるんじゃないの?
知ってるから言えないんじゃないの!?
もう少しで手に届く…真実に…。
真実?
急に出てきた人の影に雅美さんが隠れた。
目の前に…癒羅?
俺は後ろを見た。
癒羅は俺に追いつけなくて、ぜんぜん遠くに居る。
なら…誰だ?
「廊下は走ってはいけないと、学校で習いませんでしたか?」
癒羅にそっくりなのに、すごく冷たい視線で語った。
誰?
「和〜…助けてよ」
「何をしてるんです」
内容的に言えない…のもあったけど、言えなかった。
怖くて言えなかった。
和という人間が怖くて…。
「追われてんの!追われてるんだよ…」
「見れば分かりますよ。私は呼び出されて…今更呼び出されて機嫌が悪いんですよッ!」
「呼びだし?…あ…ああ、呼び出されたんだ。呼び出されるよねぇ〜…やっぱ和なんだ」
「至極迷惑ですよ」
「内容知ってるの?」
「知ってる訳ないじゃないですか。けど…あの人からの呼び出しなんて、ロクな事がない」
「信じて貰えてんだよ。信じてもらえてんじゃん!喜んで良いんじゃない?良いんじゃないの?」
「………私はもう、彼の為に働けるような状況にいないのに?信じられても迷惑ですよ」
何の話をしてるんだろう。
知らない和という人と雅美さんの会話。
きっと知らない内容の話。
なのに、胸がざわざわする。
和が俺を見る。
「おい、オマエ何だよ。通行の邪魔だろ?」
「え…え?」
「雅美さんは分かるよ。ガキだから。オマエも同類?廊下で駆けっことかしてんじゃねぇよ」
手が伸びてきた。
ゆっくりとだったから、俺はその手を避けた。
たぶん…避けられるようにゆっくりにしたんだ。
和が俺を鼻で笑った。
「クソ弱ぇ」
言われて馬鹿にされたんだと恥ずかしくて苛立たしくて、顔が赤くなる。
雅美さんは和の後ろに、ぴったりとくっついたまま俺の横を通り過ぎる。
ゴメンねって顔をされて、余計に腹が立つ。
「は…はぁはぁ……ッ………今の…和…さん?…は…はぁ〜……」
やっと追いついた癒羅が言う。
「癒羅は…アイツのこと知ってんの?」
「え?あ…ああ、うん。研修の時、教えてくれた人だから」
「アイツ…偉いのかよ」
「じゃないかなぁ?でも、普通の社員だって言ってました。不思議ですよね」
俺は胸のもやもやが消えなくて、すぐに帰れなかった。
すると和が出てきた所から誰かが出てきて俺を見た。
「………」
無言で俺を見続けるソイツを俺は睨んだ。
「ほら、伴野さん。ダメだろ?付いてくるなって言われたんだろ?」
もう一人出てきた。
ソイツは俺に一礼した。
きっと睨んでたから。
爽やかな笑顔で、けど、俺の事を命一杯否定する笑顔で。
「…いきてぇ」
伴野と言われた人が呟く。
「広輝さんは和に変な命令はしないよ。俺達は落ちぶれてるんだからさ」
もう一人が言った。
「…いきてぇ」
「お使い程度だよ。それすら規約に反しかねないんだから、そんな風に心配する必要ないよ」
伴野はもう一人に手を引かれて帰っていく。

何だよ…。
俺の知らない所で何が動いてんだよ。

関係ない事かもしれなかったけど、疑心暗鬼に陥った俺には、全ての事が俺に繋がってる気がした。
俺は動けないままで、そんな俺を見かねた癒羅が俺の手を引く。
「大丈夫ですよ…」
と呟いて………。
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