present

□手のひら
1ページ/4ページ

その日の歌舞伎町は騒がしかった。
常に静けさとは無縁の町だが、妙がスナックすまいるから帰るこの時間帯は普段ならもっと静かで、人もほとんどいないのだ。
それなのに、今日はあちこちから人の声が聞こえる。
通り過ぎる人も何やら、慌てているような雰囲気だった。

もう師走だものね。
慌しいのはそのせいかしら。

妙はぼんやりとそんなことを考えた。

北風が容赦なく着物の袖から入り込んでくる。
夜空には銀色の月が煌々と輝き、妙の足元を明るく照らしている。
妙はマフラーに顔をうずめた。

そういえば、今日はあのゴリラも現れないわね。

近藤は毎日のように妙の帰り道に護衛という名目で現れるが、数日ぱったりと来なくなることがよくある。
そういう時は大きな事件を抱えているのだと、妙は予想している。

近藤は何も言わないし、妙も何も聞かない。

興味も湧かないもの。あんな人大嫌い。

護衛などそもそも必要ないのだ。
今まで、近藤以外に自分の帰り道を邪魔した人間などいない。

いや、いたかもしれないが、妙自身の拳で全て瞬殺してきたので覚えていない。


曲がり角を曲がると、数人、明らかにガラの悪い男たちがたむろして話していた。
廃刀令のこのご時世に、腰に刀を指している。
歌舞伎町では珍しいことではない。

攘夷浪士だか、過激派だか知らないけど、関わらないのが一番だわ。

妙は目をそらして、道の反対側を通り過ぎようとする。

だが、妙は視線を感じた。
見られている。
明らかに。

男たちはもう、会話をしていない。

沈黙の中、妙は足を進める。
背中に視線が突き刺さるのを感じる。

妙は本能的に駆けだした。

それと同時に、男たちが駆けだす気配を感じた。

足音が近づいてくる。


捕まったら、終わりだ。

殺気というものが存在することを

妙は

初めて

実感する


心臓に氷を押し当てられるような感覚

全身が総毛立ち

冷たい汗が背中を伝う


恐怖が妙の足をもつれさせ、妙は道に倒れこむ。
声を出そうとしても、声が出ない。
男たちがすぐ後ろにいるのを感じる。
しゃらんと刀が抜かれる音が聞こえる。


殺される!!!


道に倒れこんだ妙はぎゅっと目をつぶった。


「お妙さんっ!!!」

聞きなれた声が闇の中に響く。
その声はいつもの浮かれた声ではなかった。

目を開けた妙の目に飛び込んできたのは

月明かりに照らしだされた

獣のような近藤の目

閃く白刃

近藤は妙に斬りかかろうとしていた男を一瞬の迷いもなく、袈裟がけに斬りつけた。

男の傷口から噴き出た
生温かい真っ赤な鮮血が
妙を染める。

「逃げろっ!!」

近藤が妙を後ろにかばい、抜刀した四人の男と対峙しながら怒鳴る。

その足元にはただの肉塊と化した男が転がっている。

妙は立ちあがることが出来なかった。
目の前のことに頭が付いていかない。

その間にも、近藤に男たちが斬りかかる。

金属同士のぶつかり合う、不快な高音が響く。

近藤の圧倒的な強さは妙にも分かった。
男たちも決して弱くはない。
しかし、またたく間に一人、二人、三人と男たちが倒れていく。
血の海の中で
近藤に対峙しているのは一人のみとなった。

だが、倒れていた男の一人が意識を取り戻し、動けない妙をつかんで首元に刀を突き付けた。

近藤がはっと振り返る。その一瞬が隙を作った。
後ろから、もう一人の男が斬りつける。

近藤の足元に大量の血が滴り落ち、血の池に波紋を作る。
妙が悲鳴を上げた。
「近藤さんっ!」

だが、近藤は動きを止めることなく振り向きざま、斬りつけてきた男を一刀のもとに切り捨てると妙に刀を突き付けている男に向かって静かに言い放った。

「その人から手を離せ。」

その目は見開かれ、怒りに満ちていた。

こんな近藤を妙は見たことがなかった。
なんとか、動こうとするが金縛りにあったように体は言うことを聞かない。

「断る。こいつはお前の女だろう? こいつの首を冥土の土産にもらってやるよ。」
男が、口から血を吐きながらあざけるように笑った。

近藤の動きは素早かった。
銀色の軌道が妙の頬を掠める。
刀をつかんでいた男の手がそのまま血の海の中にぼとりと落ちた。
男は絶叫して、転げまわり、動かなくなった。

近藤は刀を鞘にしまうと、その場に前のめりに倒れこんだ。

妙の体の呪縛がうそのように解ける。

妙はすぐに近藤のもとに駆け寄った。
「近藤さんっ!!」

近藤は妙を見つめる。
その目はいつもの近藤の目だった。

「お妙…さん…」
近藤が力なく呟く。
妙の胸に安堵が広がる。

しかし、近藤の背中を傷を見て絶句する。
どうしてこんな傷を負って動けたのか。
このままでは、命が危ないことは明らかだった。
妙は反射的に自分の着物の袖を引きちぎり、近藤の傷口を抑えるが、傷口からはどんどん血が溢れてくる。


「お妙さん…」
近藤が妙を呼ぶ。

その声の弱弱しさに妙の頭に最悪の事態がよぎる。
泣きそうになるのを唇を噛んでこらえ、できるだけ平静を装った声で近藤に答える。
「喋らないでください。今すぐ助けを呼んできますから。」
妙は近藤の顔を覗き込んで、言う。

近藤はゆっくりと妙の頬に手を触れた。
近藤の手のひらにべっとりとまだ温かい血糊がつく。

近藤の手の冷たさに妙の心臓は止まりそうになる。

「すいません…汚しちまった。お妙さんは…綺麗なのに…。」
近藤は寂しそうに苦しそうに申し訳なさそうに妙を見つめた。

「そんなことっ…」
妙が否定の言葉を言い終わる前に近藤は目を閉じた。

「近藤さん!?近藤さん!?」
妙が近藤を揺さぶるが、近藤はもう動かなかった。

妙の目からこらえていた涙があふれ、頬を伝う。
「起きてっ!近藤さんっ!!!」
近藤をゆするが、近藤は目を開けてはくれない。

遠くから、近藤を捜す真撰組の隊士たちの声が聞こえた。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ