Intangible proof
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10.
真っ直ぐに伸びる廊下の成すままに辿り着いたのは、一枚のドアの前だった。
何の変哲も無い、どこにでも有るようなただのドア。
1つ特性を上げるとすれば、それは私がよく見知っているドアだと言うこと。
その向こうに繋がる空間の主に忠実で、主か、主が認めた人間以外は容易に通さない物言わぬ番人。
今もお前は私が託した想いを寡黙に守り続けているのだろうか。
それとも新たな主にその忠誠を尽くしているのだろうか。
さぁ、私は帰ってきた。
お前が守ってきたものを、もう一度私に示してくれ。
*****
小降りな両手の中に収めた大きな手。怪しげに色づいていたその指先はじっくりと本来の姿を取り戻しつつある。
成功だ。良かったとも悪かったとも無く、ナナコはただ漠然とそれを確認した。
不思議なことに、もがいても拭っても離れてくれなかった幸せの名残が、今は手を伸ばしても届かないほど遠くに感じる。
もう二度と、どれだけ求めようとも戻ることは出来ないのだと思い知らされるほど遥か遠くに。
あなたは言った。辛いこともいつかは受け入れられる日が来ると。
だとしたら、いつか私は遠ざかって行くあの日々を思い出として綺麗に額に収めて並べて、それらを眺めては「あぁこんなこともあったんだ」と笑える日を迎えてしまうのだろうか。
自分1人残されたあの塔の上で、バルコニーで、この部屋で……
「……校長に知らせに行かないと…。」
込み上げる恐怖にも似た不安から目を反らすには最適なことを思い出した。
ナナコはそれを振り払うかのようにスッと立ち上がって……いや、立ち上がろうとしたのだけれど、膝はおろか足の先まで彼女の言う事を聞かない。
体が重い。動かない。連日の過度な酷使のせいか、心の疲弊も最もたる要因だろう。
そんな自分の有り様を彼女は以外にもすんなりと受け入れた。もともと今から何かしようとすること自体が億劫でもあったから。
これならこれで丁度良い。だって本当に、今はもう何もしたくない。
「…疲れた…」
スネイプの手を握りしめたまま僅かに動く両腕をベッドへ預け、霧に覆われつつある意識をその上に沈めれば瞼に心地良い重みが。
「教授は? お疲れになったでしょう?」
静かな横顔に静かに囁き、そしてナナコを柔らかな微睡みが包み込む。
*****
白。
それは白かった。
それは白い花だった。
ドアを開けたその先は、ずっと向こうもずっと後ろも、見渡す限りどこまでもあの白い花が広がっている。
遠くには山々と森が溶け込み蒼い稜線を描く。
優しく吹き抜ける風は心に染み入る香りを運ぶ。
ようやく。ついに辿り着いた。
喜びと安堵が一気に満ち溢れて身体中を駆け抜け、私のような人間ではその優しすぎる激流に耐えきることが出来ない。
緊張の解けた膝がガクリと地面に引っ張られて、しかし衝撃や痛みなどは一切返ってこなかった。
長かった。ここまでの道程が、己に課した懺悔の日々あの一生が。
あぁ、何やら随分と、
「…疲れた…」
蓄積されていた淀みが力と共に頭の頂点から抜けてゆく。
そして気づけば私の身体は白い花々の中へ沈んでいた。
酷く心地良い。
私なんかがここに居ても、本当に構わないのだろうか。
だが疑念したところでもう遅い。最早立ち上がる力すら無い。
(……――…)
白んでゆく思考の中、ふと目に留まった一輪の白い花。
私を取り囲む他の花とも何ら違わない、なのに私を惹いて離さない。
こちらへ向いて細やかな風に小さく楽しげに揺れて、まるで笑っているかのよう……
「…あぁ、やっと、」
思わず手を差し出し、指を添えて引き寄せた。なるべくそっと、私が知る限りの優しさで。
「…やっと、ナナコ。」
この想いを抑える必要が今やどこにあるだろうか。
だから私は想いのままにその笑顔へ口許を近付け、触れ、
瞼を閉じた。
*****
黒く、少しクセの付いた長い髪。
細やかな月明かりに照らされた、はっきりとした目鼻立ち。
ナナコはそれを愛しげに見つめながら、沈んでゆく意識の終わりに、ギュッと重なりあった手を握り締めた。