Intangible proof
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「…こう言うことは、あまり良くない。いやはっきり言ってダメなんですよ。」
「もちろん解ってます、この事は誰にも口外しませんから。」
「もしご希望でしたらこの記憶は消して差し上げますわよ?」
「―あぁいや、結構です…」
ハリー、そして見知らぬ装束を纏う女性2人に囲まれ、尚且つ目の前には遺体(こちらの世界では厳密に言えば違うらしいが)と見受けられる男性が横たわり、やっぱりこの記憶は消してもらった方が良いのかもしれないと医師は真剣に考え直した。
ベッド脇に液体が入ったポリエチレン素材の物体が浮かんでいる。中身は風邪のとき等に処方される栄養剤だ。そこから細長いチューブが伸び、その先に付いている針の先端は青白い腕の内側の薄い皮膚に埋まっていた。
「ポッターさん、さっき言った通り私に出来るのはここまでです。この後はとてもじゃありませんが…」
「大丈夫です。後は彼女が引き受けますから。」
そう言ってハリーに紹介されたナナコと名乗る女性は目の下にうっすらと隈をぶら下げており、医師としては彼女の様態の方が気にかかるところだ。
「…では、そちらが用意された“薬”はここから投与できまして…そうですここです。この中の液体に乗って体内に入る…いえ、その心配はありません。それで……」
医師はナナコにも解るよう身振り手振りで手順を説明した。彼女は短く相づちを打ちながら、しかし医師が疑念した通りその声は明らかに弱々しく、心ここに在らずと言ったら伝わり易いだろうか。
「…大丈夫ですか?」
「―え、はい、聞いてます。続けて下さい。」
どうせならこの栄養剤は彼女にこそ打ってもらいたいところだ。そう思いながらも彼は説明の手を休めなかった。ナナコの追い詰められたような表情がそれを許してくれなかった。
夕食時、城内に暫しの静けさが訪れている。ハリーは医師を引き連れ何もない壁の前にやって来た。
ここから来たのだから、ここから帰れるはずだ。安易な考えではあるがあながち的外れでもないだろう。
「先生、どうして手を貸してくれたんですか?本当は気付いてるんでしょう、ベッドの上のあの人が…」
「…前に話した人?えぇ何となく、そう思いました。」
「じゃあ何で…?」
自分だったら、そんなことはできない。実際デスイーターの残党が今もどこかに居ると考えただけで憤慨が込み上げるのに。
「あなたが助けてほしいと言ったから。誰かを助けるのが医者であってほしいと私自信が願っているから。それが正しいと信じているから。
…僕は僕が正しいと思うことをしたい、でしたよね、ポッターさん。」
医師の言葉にハリーの中で燻りだした黒い火がシュンと消え失せる。
聞き覚えのあるセリフだった。そう、以前ハリーがこの彼に言い放った言葉だった。
「それだけのために、ここまで?」
「あなただってそれだけのために全力を尽くしてる。」
そして医師はフッと人の良さそうな笑顔を浮かべた。
「…いや、ちょっと格好付けてみたかったんです。本当は、兄が過ごしたこの学校に来てみたかったと言うのもあるんです。」
照れを隠すように頭を掻く仕草は彼を一層くたびれさせて見せる。
良いか悪いかではなく、正しいと思えるかどうか。その気持ちを理解してもらえただけでもハリーは嬉しかった。
「どうでしたか、ホグワーツは?」
「やっぱり、私には縁の無い所だ。」
そう言って医師が見せたくたびれた笑顔は、やはり今はもう居ない父の友人を思い出させた。しかし今日はそれが痛みに変わることはなく、心地よい懐かしさとなってハリーの胸に染み込んだ。