Intangible proof
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ハリーは隙間無く本が並ぶ本棚の隣の隙間無く本で埋まった本棚の中から一冊を引き抜いた。
『カモノハシでも解る!論文入門』
表紙のカモノハシのイラストに黒い髪と眉間のシワが落書きされている。
「………」
彼はその中を確認すること無く、もとあった隙間に戻した。
「―大変だわ!!」
別の本の背表紙へ指を掛けようかとしていた彼は自宅のソファで寝転がっている時くらいの意識レベル、つまりはポ〜っとしていて、突然聞こえたその声に驚く以外の対応がとれなかった。
「大変です、こうしては居られませんよプリンス。」
「えっどうしたんですか??」
「とにかく、さぁ行きますよ。こうしては居られません。」
「えっあの、校長っ???」
まぁ大変大変。そう繰り返すマクゴナガルは怪訝そうに眉を潜めるスネイプをよそにポカンとするナナコの手を掴んでそそくさと彼の前から失礼すると、遠慮がちに声を掛けてくるハリーの後ろを大変大変と通り過ぎて、そのまま部屋から出ていってしまった。
「………」
「………」
謀られた。
残された2人がそれに気付いたのは彼女達の足音が遠ざかり消えてゆく若干前であった。
君は勇敢だ。何人がこの青年にそう言ったことだろう。
だが今の自分を見て彼らはまた同じ事を言ってくれるだろうか。ハリーは本棚の前ともデスクの後ろともソファの横とも言えない中途半端な空間で、ほんの数歩先の寝室と長いこと対峙していた。
逃げ出したい訳ではない。かといって揚々とそこへ踏み込む意気はない。
…おかしな話じゃないか。だって、この数年間彼の為に出来る事なら何だって、そう新聞に自らを曝して魔法省にまで掛け合って、なのにその当人を前にしたら何も出来なくなってしまうなんて。
「………―っ」
ハリーはグッと拳を握り顔を上げると、意を決して片足を前へ……出せない。5度目の決心もあえなく失敗に終わった。
「…用がないのなら君も出ていったらどうだね。」
それはハリーが6度目のチャレンジのため1から気合いを練り直している時だった。
「我輩も君と同様に色々と考えたい事があるのでね、気が散る。」
木製のパーテーションを朗々と突き抜けてきたその低音は、ハリーの気合いではなく反骨精神を蘇らせた。
それは爆発的にハリーの中で膨れ上がり、その勢いは今まで微塵も動かなかった彼の体をいとも容易く境界線の向こう、果てはスネイプの前まで押しやった。
そしてここぞと言うところで、小さく萎んで消えた。
「………」
その勢いを消失させたのは、先の余裕を伺えるセリフからは全くかけ離れたスネイプの姿だった。これでもかと威圧的だった存在感はベッドの中で沈黙し、元々血色の悪かった顔は更に青く、しかし相変わらず心の内を語らない黒の瞳が真っ直ぐこちらを向いている。
「………」
「………」
向き合う顔を逸らしたのは、やはりハリーの方だった。
微塵も動かない体、声にならない言葉。ただスネイプの前に突っ立っているというだけで何も変わらない。
時計の秒針が魔法のように時間を消費してゆく。
「…よく生きていたものだな。」
自分から何も言い出せない事を棚に上げ、スネイプから掛けられた声にハリーは心底驚いた。
「予想外でしたか?」
いや、陰険極まりないこの男だ、さっさと事を収束させたいだけなのかもしれない。
「そうは言っていない。だが否定はせん…」
言うなら早く言って欲しい、消えろと。
そして頭を垂れてその宣告を期待するハリーに投げ掛けられたのは、間だった。
それはただ時間が過ぎ行くだけの空白ではなく、何かを訴える音の無い言葉のように感じられた。
ゆっくりと顔をスネイプへ上げれば、ハリーはまた驚く。そこには相変わらずの黒い瞳が、しかし気のせいでなければ何かを語り掛けるように真っ直ぐこちらを向いていた。
「ただ、よく生きていたものだと…。」
まさかとは思う。ベッドの上に佇む男は、もしかして、自分が目を逸らしてからもずっと…
「スネイプ教授……」
ハリーはスネイプとの間に沈黙を投げ掛ける。それはただ時間が過ぎ行くだけの空白ではなく、何かを訴える音の無い言葉で、ずっと大切に仕舞っていた思いだった。
「…ありがとうございました。」