s h o r t
□家まで1マイル
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父は待っている。
あの場所で、僕を待っている。
家から少し離れた町の、そこからまた少し離れた場所に立つバス停。
父は毎年そこで、夏休みの終りには僕を見送り、夏休みの始めには僕を迎えに来てくれる。
驚いたでしょう?なにせあの父が他所の父親のような事をするのだから。僕だって入学の日の朝は本当に驚いた。5年生を終えようとしている今もまだ不思議に思っているくらいだ。
最初は幼い僕を気遣っての事だろうと驚きながらも納得していたのだが、さすがに僕ももう16歳だし、たかだか町から家までの道程を心配されるような歳ではない。しかも、何度も言うが、あの父がだ。
なにも迷惑がっているわけではない。普段は触れられない父の内面に手が掠めたような気がして、その不思議な一時は僕にとって貴重な時間なのだ。
「…―、―ねぇ、」
「―ん? 何?」
「もう、やっぱり聞いてない!」
「あぁ、ごめんリリー、今度の休みの話?」
「違います〜!」
あぁしまった。考え事に気を取られすぎていたみたいだ。
リリーは末っ子だからか相手にされないとすぐに拗ねてしまう。ただでさえ女の子だからとジェームスとアルに弾かれる事が多いから、最低限の気は使うようにしていたのだけれど。
列車の狭いコンパートメントの中が気まずい雰囲気になるのは避けたい。それなのにアルへ助けを求めてもあいつはニヤニヤと僕を見るばかりで、なんだよ、友達だろ?
「…カエルチョコ食べる?って聞いたの。」
「食べる、勿論、ありがとう。」
甘いものはそんなに得意じゃないけれど、ここは仕方がない。アルを見れば余計にニヤニヤと目を細めて、こいつめ後で見ていろ。
車窓の景色が少しずつ賑やかになってきた。駅に近づいているのだ。頭が自然と去年の夏を目の奥で再生する。考えないようにしようとすればするほど、心がザワザワと落ち着かない。
父は待っている。
あの場所で僕を待っている。
でも今日は待っていないと思う。
去年の夏の終わり、学校へ戻る日の朝。目が覚めて起きて、パンをかじって牛乳を飲んで、持って行く荷物を整理して、毎年迎える通りの何ら変わらない朝、のはずだった。
「準備は済んだか。」
「あと少し。」
「そうか。」
部屋の前に父が来ていたのには気付いていた。直ぐに解る。そんなことより、父が何か言いたげにしているその様子はなかなか珍しく、僕は手を動かしながらも完全に意識を背後へ集中させていた。
「…バスが来る前に町に寄ろうと思う。久々に誰かが作った食事が食べたい。」
「えっ…」
「どうする。」
「―行く、行くよ!」
僕は直ぐ様返事を返した。あれこれと考えている余裕はなかった。
「そうか」と素っ気なく答えた父の気配が遠ざかった瞬間、身体の奥から得体の知れない高揚が沸き上がってきて皮膚が波打つ。
何だって? 父は今何と言った?
今のはもしかして、外食の誘いではなかったろうか。そうだ、確かにそうだった。あの父が僕を外食へ誘ったのだ。
凄いことになったぞ。僕は年甲斐もなくたかが外食に胸が高鳴った。
外食が嬉しいわけじゃない、それくらい母やアル達と経験済みだ。僕が言いたいのは、父と町へ出るなんて初めてで、しかも普段外出を避けている父の方から提案してくるとは思いもよらなくって。
あの時の僕ときたら相当に舞い上がっていた。そのせいで急いで準備した荷物の中は酷いことになっていた。
到着した駅は人で溢れ返りそうになっている。ホームへ滑り込む列車はまるでその人だかりの中を割って進んでいるようだ。やがて大袈裟な蒸気が辺りを白く濁すと、列車は予定よりやや遅い時刻に務めを終えた。
ドアが開くと同時にホームが賑やかしくなる。列車の通路は我こそはと下車を待つ生徒でごった返していて、別のコンパートメントに居たローズ達と合流できたのは幸運だった。
5人纏めてホームへ押し出されれば、もう自分達がどこに居るのかも解らない。けれど大丈夫。頭1つ飛び出た赤毛のおじさんを見付ければ、そこにアルの両親もローズの両親も揃っているからだ。
人と人の間を分け入って行くと、先輩とその両親の一行と出くわした。相変わらず盛大なお出迎えだ。先輩のお祖父様は僕を見る度不思議そうに首を傾げるけれど、どうしてだろう。
なんとかしておじさん達と再会し、そして僕はまた人混みを掻き分けてバスターミナルへ向かう。
93/4番線から出れば嘘のような静けさで、ターミナルに着けばそこには僕だけただ1人。それもそうか、あんな田舎に用がある人なんてそうは居ない。
バスの到着まであと18分。
家に着く頃にはこの空も赤く染まっているだろう。