short
□テールランプに照らされた彼女の横顔
1ページ/1ページ
テールランプに照らされた彼女の横顔
かちり、とウィンカーをつけて道路に滑り込む。
左手は勝手に動いていつもの癖でカーオーディオのスイッチを押した。流れてきたのはニックヘイワード。僕の車にはいかにも過ぎるかな、そう思っていくつかチャンネルを変えて。結局同じようなものしか入ってないことに気付いてFMに落ち着いた。
「りえちゃんごめんね。遅くなってしまって」
「ううん、そんなに遅くないし大丈夫だよ」
いつも僕らは完璧、なんて歌っているけど、本当は僕だって苦手な事はひとつやふたつ…いや、それはもう沢山ある。
この、女の子と車の中で二人っきりっていうシチュエーションだって僕の最も苦手とすることの一つだ。
「スギくんって車運転できたんだね」
りえちゃんが感心したように言う。
「もしかして自転車しか運転できないと思ってた?」
とっても苦手だけど、でもその相手がりえちゃんで良かった。気の利いたことを言わなければと緊張する必要もないし、頑張ってムードを作ろうとしなくてもいいんだ。
彼女、りえちゃんとは友達…というか、仲間というか。最初は僕らのファンだと聞いていたけれど、いつの間にかそんな垣根を取っ払って大事な友人になった。
「え〜〜そんなことないけど、ちょっと車運転してるようなイメージなかったから」
これはりえちゃんだけでなく、いろんな人から言われる事だ。
青空の下を自転車で駆けていく。遠くの山へバスに乗ってピクニック。そんな僕達について回るイメージは自分達で作り上げたものだけれど、たまにそのギャップに首を傾げたくなる時がある。ウォントゥバイマイバイシコーバイシコー、ね。
今日はちょっとしたイベントの打ち上げだった。
いろんなジャンルの関係者達が入れ代わり立ち代り入ってくるそれは、常になく人が多くて会場は大盛り上がりだった。
酒が入った若者たちは今も時間を忘れて盛り上がっているだろう。
人数の多さのせいか、それとも若いテンションの盛り上がりのせいか、僕の相方であり親友であるレオくんの機嫌は最高に悪かった。
もちろんそれを顔に出すことはしないけど。
気分を害したなら早々に抜けてくればいいだろうって?たしかにスギ&レオってそういうことしそうなイメージがついてるよね。
まあ、確かにテレビの生放送中に帰っちゃったり、突然曲を変えて演奏したり、なんてこと何度かやらかしたりもしたけど、それは全部わざとなんだよ。ぜーんぶ台本の筋書き通り。この資本主義的刹那業界で生きるためのキャラクター作りの一つ。戦略的手法ってやつさ。
現実の僕らは会社と契約してる身分であって、浮き沈みが激しいこの世界で上手くやっていくために、個人個人でこういう業界の横のつながりってやつを増やしていかないといけない。僕らも社会のうちの一部なんだよ。がっかりされるかもしれないけど。
レオくんはこれでも随分成長したんだよ。昔の彼はとんがっててそれはもうひどかった。
気分屋でわがままなくせに人見知り。そのくせかまわれたがりで傷付きやすい。
その誤解されやすい性格のせいで僕も彼もどれほど苦労したことか…
昔の彼だったら、気分を害したら即効で家に帰っただろうね。そうしなくなっただけでも物凄い進歩だ。我慢できるようになったんだ。大人になったんだなあ。
今日も彼は笑顔の裏側に不機嫌な顔を押し込めて佇んでいた。気付いていたのはきっと僕だけだっただろう、まずいと思ったけれど僕らはイベントの主催者側に近い立場で。途中退場して盛り上がっているところに水を差すわけにはいかない。
頼むからもう少し我慢してくれよ、耳元でそう囁いたら、わかっているよ、と満面の笑みで返された。ああこれはまずい。と本気で冷や汗をかいた。
これがアルコールでも入ればちょっとはマシになるかもしれないけど、あいにく僕もレオもたまたま今日は車だった。
本当にりえちゃんたちが帰ると言ってくれてよかった。こうやって彼女達を送るという名目で外に出られたんだから。
レオくんは今頃さなえちゃんを家まで送ってやってるところだろう。
「スギくんって車を運転してると雰囲気が違うね」
「え、そう?かっこいい?」
「うん、なんか大人っぽい」
その言葉に少しだけどきっとして(ほんとに少しだけだよ!)、そう言う彼女の横顔を信号が赤になった時こっそり盗み見た。
いつもにこにこ笑って楽しそうで、にぎやかなりえちゃん。普段はどちらかというとさなえちゃんにまとわりついてるような印象が強いんだけど。
テールランプに照らされた彼女の方こそいつもより大人びて見えた。
「あっもしかして。
レオくんがいないからかもね」
信号が青になり、再び車を発進させる。僕らを照らしていた真っ赤な光は消えている。
この時僕は正直言葉を失っていた。
彼女の言う事が図星だったからだ。
さっきも言ってたけど、スギ&レオのスギくんと僕個人というのは似通っているようで微妙に違う。
自転車しか乗れないスギくんと、車の運転が出来る僕。「スギくん」とは作り上げられた、でもまぎれもなく僕の延長線上にいる人間だ。
そしてレオと一緒にいる僕というのも、今ここにいる僕とどこか違っているんだろう。
それはきっと僕が「スギくん」でいる時のように違うんだろう。だって心持ちが違う。僕と「スギくん」が境目のない他人であるのと同時に、レオといる僕も同じようなものなのだろう。
僕とレオの関係性ってのは、ホント一言では言えないくらい複雑だから。誰よりも近くて、だけどあくまでも他人ななんとも説明しがたいこの不思議な距離感。
僕らの間にはきっと他人が入り込めない雰囲気がある。それはうんと昔からそうだったから今更どうしようもないことなんだけど。大人になってもそれじゃちょっと困るじゃないか。
いつまでも二人だけで完結できる世界にはいられない。僕らは運良くビジネスパートナーになったけれど、稼いでくにはその雰囲気を他人に気取らせないようにしなくちゃならなかった。りえちゃんにはそういうところを見せてないと思ってたんだけど。そういえばりえちゃんと二人っきりでしゃべるのこれが初めてじゃないか?
(りえちゃんってぽやんとしてると思ってたけど、案外あなどれないなあ)
この日から僕はりえちゃんのことを一目置くようになった。
かわいらしいただの女の子だと思っていたけど、さすが一癖も二癖もあるあの神に気に入られているだけある。
彼女の発言にはこれから気をつけるようにしよう、とひそかに心に思った僕だったけれど、次の瞬間僕は再び絶句することになる。
「レオくん今日すごーく機嫌悪かったじゃない?帰りたそうだったし。早めに抜け出せて良かったね」
なんてことだ。彼の内心は僕しか見抜いてないと思っていたのに。
りえちゃんにギター教えることになったよ
彼が突然そう言い出したのが半年前。またいつもの気まぐれが始まったのかと思っていたけど、気がつけばもう半年だ。
毎週土曜のレッスンはお互いに外せない用事がない日以外はずっと続けられている。
そっか、彼女だったからレオは続いているんだな。
彼女はレオをとてもよく見ている。
きっと彼女は「スギくん」と「レオくん」という目くらましには誤魔化されず、本質を見てくれる子なんだ。
10年近い僕らの付き合いは、たった半年で彼女に追いつかれてしまったのかな。
「りえちゃん、」
僕は唇を湿らせて、レオとずっと仲良くしてやってね、って、まるでお母さんが息子の友達に言うような言葉を言った。
自分でも何言ってんだか、と思ったけれど。
りえちゃんはえー、と驚いた声を上げたけれど、「もちろんだよ!」と明るく言ってくれて。僕はなぜだかわからないけれど、ひどく安心した。