志士夢

□非情な雨
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しとしとと藩邸の庭を濡らす雨音が響く。
と或る小間にて、私と莉々は向かい合い座っていた。




私は非情な人間である。彼の負け戦では同胞を見捨て生き延びたのだ。その後も命を狙われ、逃亡生活を余儀無くされた。それは今も続いている。
“逃げの小五郎”とは私の世間での呼び名である。




そこまで話し、作り笑いを浮かべて見せた。すると莉々は真っ直ぐに此方を見、開きかけた口からは僅かな嘆息しか出ず、絶句したようだった。


「すまない。つまらない話をしたね。しかしこれから先君が居る所で斬り合いになったとしても、私はまた君を見捨ててでも生き延びようとするかもしれない」


彼女を見つめ返し、首を傾げてまた笑う。今度は上手く笑えていたか自信がなかった。
目の前の娘はきっと戦等とは無縁の国に育ったのだろう。生まれは同じ日本、しかし時代が違い過ぎた。


「だから君は、こんな非情な男の元よりも、生まれ育った平和な故郷に帰りなさい」


…本心からの警告だった。しかし、言いながら胸中に痛みが走る。
彼女…莉々は私たちに関わってしまった。新撰組もその事実を掴んだ。
これ以上此処に居たらきっと、危険が及ぶ事は必至である。


「……………」


彼女は洋服で正座し、少し露出した膝の上で握った拳に視線を落としたまま押し黙った。

さぁ、『帰る』と言ってくれ。
見損なった、非情だと罵れば良い。
そして、無事に未来へ帰って欲しい。
……これが私の守り方だ。

屋根を打つ雨音は更に大きくなった。




しかし返ってきた言葉は、


「………嫌です」


短くも意志の強い声音で言い放たれる。


「…聞き分けの出来ない女子だね、君は」


態と冷たい言葉を投げても、依然として首を横に振って「帰らない」の一点張りだった。
…ひとつ溜め息を吐く。


「…………何故、そこまで此の時代に拘る?君が居て良い所ではないんだ。私も晋作も君が此処に居ては迷惑なんだ。どうしてわからない!なぁ、莉々!」

「……!」


少々熱くなり、遂に叫びに似た声を発した。これには流石に彼女も驚いたようで、途端に目が赤く潤み出した。それでも尚、視線は私の目から離れなかった。


「……違います、」


震えた声は小さく訴える。


「桂さんは非情なんかじゃない…」

「………残念ながら、間違いなく私は非情だよ」


自嘲し、持ち上げた口端がひきつった。
彼女は遂に涙を流し始め、大きく頭を振った。


「違います……違います、桂さんは…っ」

「………………」


あぁ、何て美しい涙を流すのだろうか。汚れきった私にはもう、流すことは出来ない涙だ。
そんな事を思っていると、不意に彼女に抱き締められた。きつく抱え込まれた頭が胸に包まれ、彼女の温もりと鼓動を諸に受ける。


「……何を」

「桂さん、泣いてるじゃない…」


………泣いている。私が。
可笑しな事を言う。泣いているのは君じゃないか。


「泣いています、桂さん。お願いだから、私の前では嘘吐かないで。『泣きたい時は思い切り泣きなさい』って言ってくれたじゃない。桂さんは、怖いんだよね?大事な人を失って生きていくのが辛いんだよね…?」

「………………」


言葉を失う。
この娘は何処まで私を知っているのだろうか。
気が緩み、この温もりにすがり付きたくなって腕が空に浮いた。
甘えてはいけない。抱き締めてはいけない。
その思いに反して、彼女は更に私を包み込む。


「わたしは大丈夫。わたしは死んだりしない。此処に残って、ずっと貴方の傍に居る」

「………」

「わたしが貴方を守るから」


躊躇い、行き場を失った私の心を莉々の細い腕がしっかりと受け止めた。
堰を切って流れた温いものが頬を伝う。
とうとう私は、彼女の胸にすがり付いてしまった。
何れは晋作も私の前から消えるだろう。その時は当然、独りで生きていくのだと覚悟を決めていた。…なのに、君は。


「何もかもを捨ててまで、私の傍に居てくれると…共に生きていくと言うのか…」


彼女は言葉なく頷いた。




此の場が屋内であることが悔やまれる。外であったなら、この涙も隠せたであろうに。
降り注ぐ春雨の何と非情な事か。

力強い華奢な腕に抱かれ、偽りで凍りついた涙をも溶かされた私は、只ただ己の欲するままにその娘を掻き抱いた。





非情な雨
(偽りを流した後に残るは、隠し続けた真の心)



***
本館blogに掲載した作品の改正版でした。

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