志士夢
□X.O.X.O.
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「……………」
薩摩藩邸にて、わたしは突っ立ったまま無言で目の前の人を見つめた。…見つめたと言うよりは、睨んだ、と言った方が良いかもしれないけれど。
「………小娘」
うんざりしたようにあからさまに溜め息を吐くと、洋装の内ポケットからパイプを取り出した。
「……………」
わたしは黙ったまま彼の仕草を眺める。その所作は一つひとつが美しくて、腹を立てていると言うのについ見とれてしまった。
マッチで器用に火を付けると、パイプから出てきた白い煙がくゆる。
「………黙っていたら解らん。一体何が気に入らなくて、そのような顔をするのだ」
「……………」
ふぅと煙を吐きながら腰掛けていたソファーに背を預け、わたしを見上げて脚を組み替えた。…見上げられているのに、その視線は上から投げられているようだ。
何を訊いても黙りを決め込むわたしに、彼は訝しげに眉を潜め、不機嫌そうに目を伏せる。
まだ解らない?わたしが何故怒っているのか、貴方には解らないの…?
「……………」
決して言葉にはしない。だけど困り果てる彼の顔を見ていると、堪らなく寂しい気持ちになる。
…わたしと貴方は、心さえ繋がれないのね。
そう思うと、嫉妬と悲壮、愛憎に気が狂いそうになった。
「…………解せぬ、な」
「…――――」
もう一度、吐煙がくゆった瞬間。彼の真正面からソファーに膝を乗せ、胸ぐらを掴んだ。ぐっと顔を寄せてやると、目を丸くして此方を見つめ返してくる。
「…何を」
「これ、遊廓で付けられたんですか?」
わたしはシャツに付いた紅を目で差して訊ねた。すると、彼は今気付いたように驚いた表情を見せた。
「……小娘、」
「……こんなもの」
静かにパイプを奪い取り、傍らのテーブルに置いてあった湯呑みの中に落とした。
…そうよ。こんなもの、必要ない。
「大久保さんは、口が寂しいのね…?」
「…――!」
まだ香りの残る唇が、わたしのそれを受け止めた。彼は吐息ごと飲み込むように、為すがままに口づけられている。
……悔しい。
どうして、想いを伝えるのってこんなにも難しいの。
言葉にすれば簡単。だけどわたしの伝えたい事はそれだけじゃ足りなくて。欲張りなわたしは、伝えた分だけ応えて欲しいと願ってしまう。…だから、今のこの状況はとても不服だった。
「……………」
…涙が零れ、彼の頬を濡らした。
わたしみたいな小娘の、覚束ない口吸いを黙って受け入れているこの人を見ながら思う。
幾らわたしが求めてもその欲求は満たされないと言うのに、遊廓の女郎たちは彼に言い寄ればすぐに抱いてもらえるのだろうか。口づけてもらえるのだろうか。
「――…狡い」
「……………」
決して貴方から触れられない。だからこそ、此方から仕掛けたつもりだったのに。却って虚しさと羞恥心が募っただけだった。
困惑の表情は、涙を流すわたしをただ見つめる。白に映える紅の色がやけに鮮やかで、とても妬ましい。
「………ふ」
「………?」
ふと、吐息が零れる音がして窺い見る。
…それは、今までに見たことがないほど優しい笑顔だった。
「…小娘に妬かれるのは、なかなか気分が良い」
「……………」
そんな嬉しそうに言わないで欲しい。
…本当は妬きたくなんかないのに。
だって、こんなにも苦しい。
「……………」
「……ふん。質問に答えてやる」
「………え?…――あ」
ぐるん、と視界が回転して、身体が柔らかな抵抗を受けて僅かに跳ねた。
…どうやらソファーの上に横たわるように、彼に押し倒されたようだ。
わたしを見下ろす人を見る。…なんて鋭い目。ぎらりと光る瞳の中に目を見開くわたしを見つけた。
「確かに…、この紅は遊女のものだ。しかし、抱いて来たわけではない。私は会合をしに行ってきただけだ」
「……………」
「言い寄る女は皆、西郷に押し付けてやった」
くつくつと喉を鳴らして笑うと、額、瞼、頬と流れるように軽い口づけを落としていく。鋭かった眼光もいつの間にやら柔らかな眼差しに変わっていて。浴びせられた唇は熱を孕んでいるのに優しかった。
「……………」
そんな姿を、どこか客観的に見ていたわたしに気付いた彼は不敵に笑う。
「そんな物欲しそうな目をするな。先ずは、寂しい口を満たしてもらおうか…―――」
頬を撫でながら囁いた。
…あぁ、やっぱり貴方は狡い人。
さっきまでは絶対に許してやるものかと思っていたのに。結局は、こうして翻弄されるのだ。
「お前のは少々荒かったが…嫌いじゃない。…もっと上手な口吸いを教えてやる」
唇が重なり、甘い吐息が毒のように身体を巡る。耳に溶ける甘い言葉に目を閉じて、ずっと欲しかった貴方からのキスと抱擁に酔しれていった。
X.O.X.O.
(貴方の抱擁とくちづけは想像以上にやさしくて、)
終
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本館blogに掲載した作品の改正版でした。