志士夢

□祭囃子がきこえる
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*始めに…
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***
 

──明日、一緒にお祭りに行きませんか。


忙しいのは重々わかっていたけれど、どうしても貴方と行きたかった。

少しだけ勇気を出して伝えると、貴方は少し首を傾げ静かな笑みを向ける。


「───そうだな……少々遅れるかもしれないが…、それでも良いなら」


行こうか、と頭を優しく撫でられ、ほっと安堵の息を吐く。
約束ですよと小指を差し出すと、柔らかな所作でわたしの指を絡みとり、ゆびきりげんまん…と小さく口ずさんだ。
然もない約束事に幸せを感じて、ひとり視線を下方に逸らし口許を緩める。と、不意に視界に入り込む背を屈ませた影に気を取られた隙に、唇を奪われてしまった。

此方の方が効果的だと思わないか。

唇を離し、そう言って不適な笑みを携えた貴方に、わたしが抗える筈もなく。
しんと静まり返った部屋の中。無口になった貴方に導かれたわたしは、再びその温もりで約束を交わした。





*





───昨晩の幸せなひとときを想いながら空を仰ぎ見、小さく嘆息する。
日中の仕事が一通り終わった昼下がり。
縁側から見上げた空はどんよりと重い灰色で、今にも降り出しそうだ。
そんな中、耳に聴こえるのは、町人たちが今夜の祭の準備を進めていく忙しない声と、祭囃子の音。
…だけど、グレーな雲行きに不安になる。
…それに。
あの人が帰ってくる気配が全くないのも、不安を煽る要因だった。

忙しいんだもの、仕方無いよ。遅れるかもって言ってたし…。

心の中で呟き、立ち上がる。少し、気分を変えようと思った。

あの人の部屋に行って、待っていよう。
もう少し身形を綺麗にして、髪も梳かして。
帰ってきたらどんな顔をするかしらと、それを想像しただけで胸が踊る。
外からの軽快なリズムを聴きながら、先ずは自分の部屋に向かっていった。





*





「──………………」


一体どのくらい待っていただろう。待つことに飽きてしまったわたしは、畳に横になりながらぼうっと天井を見つめていた。こうしていたら、折角整えた身嗜みも最早意味がない。
外はすっかり暗くなり、もう既に祭は始まっている。
しかし、やはり予想通り空はポツポツと泣き出して、橙に光る灯りを滲ませていた。


「………あーあ」


微かな息に揺らめく行灯の火。
屋根を打つ雨音が次第に大きくなるのを感じて、溜め息混じりに呟く。
このまま雨足が強まれば、祭は中止かもしれない。

いや…それより。
あの人は、大丈夫だろうか。
半次郎さんを護衛につけていたとしても、帰り道、雨に濡れて困ったりしないだろうか。

未だ帰らない愛しい人が心配になったわたしは、居ても立ってもいられず、彼の部屋を後にした。





*





「──莉々様、御気持ちは分かりますが…、ここは藩士にお任せ下さい」

「…ありがとうございます。でも、わたしがどうしても行きたいんです」


やはり雨は本降りになり、傘を差さなければずぶ濡れになりそうな程の強さになった。
迎えに行く、と言い出したわたしを数人の藩士たちが止めようとするけど、やんわりと断る。


「大丈夫です。迷子になったりしませんから」

「いや…その…、そういう事ではなくて…」


バツが悪そうに濁され、首を傾げる。その人は申し訳なさそうに眉を下げ、「実は…」と意味ありげに口を開いた。


「此度の会合場所なのですが…、相手方たっての希望で、島原で行われているんです」

「………島原…」


遊郭?と問い返すと、重々しく頷いて見せる。
…別に、大して驚きはしない。そういうことは今までもよくあった。……でも、わたしたちが“恋仲”と呼ばれるような関係になった今は、その事実が胸をチクチクと痛ませる。
出来れば、本人の口から聞きたかった。そもそも場所が場所なだけに、元から早く帰れるわけがないのだから…。


「………わかりました。行ってきますね!」

「……あ…」


気持ちを抑えながら作った笑顔。それを見た人にはどう映ったのだろうか。
困惑する藩士から隠れるように傘を差し、人気の無い通りを歩み進めていく。視界には雨に濡れていく祭の灯が入り、更にこの胸は切なさで締め付けられた。

その光景はまるで、わたしの心の中だった。
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