06/29の日記

23:07
BANANA FISH
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今月の月刊flowersの付録にBANANA FISHやラヴァーズ・キスのクリアファイルが付いてくるとの事で○年ぶりに漫画雑誌を買いました←
いやーやっぱりBANANA FISHは私にはバイブルなんですよ。問答無用で惹き付けられちゃうの。整合性とか齟齬とか残虐性が不快とか感じたとしてもそんなのイチイチ突っ込むのどーでもいい←
細かく語るの馬鹿馬鹿しくなる位それを凌駕して惹き付けられちゃう。本気で語り出したら止まらないし日記には収まらないけど。
この作品はいちいち冷静に突っ込んだり語れないのよな…ホントに。
汚かろうが壮絶だろうが悲しかろうが取り繕わずに必死で全身で剥き出しの魂で「生きてる」んだもの。
だから私はどんなに悲しくてもアッシュに「生きてて幸せになってほしかった」と簡単に言えないのです。彼の意思で全力で望み足掻き生き抜いた上のあの結末だから自分の勝手な願望で彼の意思をねじ曲げたくない。
アッシュは他人から与えられる「意思」では生きられない人だろうな。英二に対しても承認欲求がある訳だし。
あの二人はブロマンスにも見えるけど私には一人の人間の二つの心の葛藤の擬人化にも見えるんです。
自由を求めて支配される世間と闘う激しい心と、平安と無条件の許容を求めて憩う心。怒りと優しさ。哀しみと喜び。狡猾さと無垢さ。
理想と現実の間で人間が揺れ動いてもがく様を二人の人間に仕立てて、それを際立たせる舞台で戦いと憩いを描く、このコントラストは大人になればなる程に切ない。
誰もがどこかで折り合いをつけなければいけない事をトライし続けながら手を伸ばさずにはいられないアッシュという主人公は一種の「祈り」にも似たようなキャラだと思います。
英二はその分抑圧されているけれど、彼は決してアッシュと対等の力や同じフィールドにいてはいけない。
違うからこそ彼を受け止める事が出来て、そんな英二に受け入れられる事がアッシュが「許され救われる」と感じる理由になる。
英二は無力なのではなくアッシュの為にあの位置付けに居続けるキャラだなと思いました(だから彼に対しては切なさを感じこそすれ苛立ったりはしない)
大人になってから読むとブランカ大好きだしシンやショーターも相変わらず魅力的だし、昔は苦手だった(笑)月龍も可哀想な人だなと思うけど、やっぱりアッシュの鮮烈さは一際眩しい。
今でも心を持って行かれます…ホントにドラッグみたいな作品だW

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