大田皇女(おおたのひめみこ)は、中大兄皇子(後の天智天皇)と遠智娘の娘で、妹には有名な鸕野讃良皇女(後の持統天皇)がいます。
姉妹二人で父親の弟である大海人皇子(後の天武天皇)に嫁ぎ、大伯皇女、大津皇子の二人をもうけました。
病弱だったのか、20代で短い人生を終えました。
残された7歳の大伯と5歳の大津は天智天皇にひきとられます。
大海人皇子の即位前に亡くなりましたが、生きていれば、皇后になっていたかも知れない女性です。
没後は、祖母である斉明天皇(皇極天皇)が葬られている牽牛子塚古墳の近く、越塚御門古墳に埋葬されたと言われています。