フィヨルディア

□第4話:今と現実
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〜今と現実〜



カツン、と小気味のいい音が響く。キューで突いた球が、台の上で滑りながらカーブを描き、数字の書かれた球に当たった。球は角の穴に吸い込まれるようにして転がり、落ちた。

「なんだよ弥生〜、ちょっとは手加減しろよ〜」
「手加減する方が失礼だろう」
「失礼でもいい、俺は勝ちたいの!」
「…お前、悲しくならないか?」

現在、時刻は深夜0時。眠れないから屋敷内を散歩しようとしたら、たまたま部屋から出て来た仄に見付かり、付いて来られた。ビリヤードやダーツがある遊戯場の前を通ったら中で物音がしたので、覗いたら里乃と弥生がいた。同じく、里乃が眠れなかったらしい。ちょっと雑談をするつもりで入ったら、いつの間にか仄と弥生がビリヤード対決を始めてしまい、今に至るわけだ。

「ちぇ〜…。紅華の前で格好いいところ見せたかったのにな〜…」
「…仄も、上手い」
「そうよ、弥生ほどではないけど、あんたもなかなかよ?あんたにこんな特技があったなんて見直したわ、3点くらい」
「うっわ〜…ほとんど見直されてない…」
「紅華、流石にそれは酷いぞ。せめて5点にしてやれ」
「おい弥生、それフォローのつもり?」
「…5.5点…」
「里乃!?譲歩してそれ!?」

里乃も弥生も物静かな方だが、仄が賑やかなせいか、それなりに盛り上がっている。それに実際、仄のビリヤードの腕前もそれなりのもので、二人のビリヤード対決を見てるだけでも案外楽しい。私と里乃は、カクテルを飲みながらその対決を見守っていた。仄の言っていた通り、プールバーになっているので、かなりの種類のカクテルが楽しめる。結構、良い場所だ。

「…紅華は、ビリヤードやらないの?」
「ビリヤードは、全然出来なくて…。里乃は?やりたかったら、私に遠慮しないで参加して来ていいのよ?」
「…ううん、私も出来ないから。…それに、紅華と話してる方が楽しい」
「そうね。女同士って、やっぱり気楽よね」
「…カナや潤といても楽しいんだけど、テンションが…。…花音は、アレだし…」
「……確かに」

彼女達も決して悪い人ではない…むしろ良い人達なのだが、ちょっとついていけない何かがある。それに、潤と花音に至っては悪魔だし。私も、里乃と居るのが一番気楽で楽しかった。

「これで十戦二勝八敗か〜…くっそ、次は勝ってやる!」
「仄…そろそろ止めないか?」
「勝ち逃げかよ!せめて俺があと一回勝ってから止めさせろ!」
「じゃあ、さっさと勝ってくれ」
「じゃあ、手加減しろよ」
「それは断る」

一体いつ勝負が終わるかはわからないが、見てるこっちは意外と飽きないから、もう少し続けてくれても構わない。弥生は迷惑そうだけど。実力の高い者同士の勝負を見るのは楽しい。私はビリヤードに詳しくないが、素人目に見ても弥生が上手いのはわかるし、仄もそれに劣るとは言えど、二勝を奪っているのは確かだ。そんな勝負を見ながら、女同士でお酒を飲む。楽しくて、同時に少し寂しくなる。
数日前に聞いたのだが、仮死状態の人間は、目を覚ましたとしてもここでの生活は記憶に残らないらしい。それはそうだ、もし記憶に残るなら、もっとこの世界の存在が明るみに出ているはずだから。だから、全て忘れるだろうということは予測していた。そしてそれを、ありがたいと思った。初めから現実に戻る気満々の私は、下手に記憶が残られた方がつらくなる。楽しい思い出が出来てしまうと、もう戻れない、会えない人が出来てしまうのが苦しくなる。だから、記憶が消えるのはありがたい。…そう思うようにはしていたが、やっぱり悲しいものがある。今こうやって過ごしている時間が、自分の中でなかった事になるのが、少し寂しい。そんな事思ってもしょうがないし、ここにどんな感情が芽生えようと私は絶対帰るのだから、あまり考えないようにはしてるけど。

「そう言えば、里乃はどれくらい前からこの世界にいるの?」
「…三ヶ月くらい前から」
「三ヶ月、ね…。現実だと、私が事故に遭った日と近いのかしら?」
「…私は、11月の20日に…」
「……それって、2010年の?」
「…うん」
「……私の、一日前だわ…」
「…近いんだ。…なんか、嬉しい」
「そ、そう?」

どちらかと言うと私は、落ち込んでいた。現実では一日しか経ってないのに、この世界では三ヶ月かぁ…と。ここでの時間と現実での時間の規則性はないみたいだし、個人差もあるから、私も同じペースで時間が流れてるとは限らないけど…基本的には、現実で経過してる時間より、ここで過ごす時間の方が遥かに長くなると聞いた。一日目覚めなかっただけで、三ヶ月…。里乃は、平均より現実の時間がゆっくり経過していると信じたい。
 
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