フィヨルディア

□第7話:家族
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「…ねぇ、里乃の家族の話を聞かせて?」
「…私の、家族?…いいけど、あまり楽しくない話だよ?」
「でも、里乃が大切に思う家族なんでしょ?だったら、楽しくなくても、いい話よ」
「…」
「現実の話を出来る人って少ないし、聞かせてほしいの。…それに、共感者がほしいのよ。同じ思いを持ってる人がいるって思うと、気が楽になるわ」

残して死ねないと思うような、大切な家族…それなら、私にもわかる。私だって、両親を残して来た。あの人達の事を思えば、まだ絶対に死ねない。それと同じ、あるいは、もっと深い何か。自らの恋心を裏切ってでも帰ろうと思える、その現実への執着を聞きたい。聞いて、共感して、安心したい。私よりずっとこの世界に思い入れてる里乃が現実に帰れるなら、私も絶対帰れるって思える気がするから。

「…明るくはない話だから…気を悪くしちゃったら、ごめんね」
「大丈夫よ。自分から訊いといて、文句は言わないわ」
「…私の両親はね、虐待癖のある人だったの」
「……え」
「…ね?…明るくないでしょ?」

ニコッと微笑んで告げられた内容は、明るくないを通り越して、不穏なものだった。でも、里乃の微笑みに苦しさはない。ツラいと思っているなら、この前の茉莉みたいな…苦し紛れで出た笑い方になるはずだ。

「…小さい頃から、酷い虐待を受けてた。…私、人と話すの苦手だったから、誰にも話せなくて…」
「あ…えっと、無理に話さなくても…」
「…ううん。…聞いて。……それでね、中学を卒業した頃には、家を出て一人暮らしをしようと思ったの。…親の虐待から逃れるため…。…でも、ちょうどその頃…新しい、家族が出来た。…弟が生まれたの」
「…」

生まれたばかりの弟。里乃が家を出れば、両親の虐待の矛先がどこへ向かうかなんて分かり切っている。きっと里乃は、それが怖かった。生まれて間もない弟に、既に愛情を覚えていて…その、愛しく弱い存在を、自分の身代わりにしてしまうのが。

「…弟を守るため。…そう思えば、痛い事も苦しい事も堪えられた。…それでも、弟への虐めを完全に防ぐ事は出来なくて…。…弟を連れて逃げ出そうにも、自分と弟一人を養っていけるだけの生活力もない。…弟が五歳になった時、両親が離婚して、お母さんが家を出て行ったの。…お父さんはしばらくして再婚したけど、いつまで経っても、お父さんの虐待は続いてた」
「……それで、弟さんは…」
「…大丈夫、今も元気だよ。…新しく来たお母さんがね、すごくいい人だったの。…お父さんが私達を虐待してるって知らずに結婚して…知った後は、必死にお父さんを止めようとしてくれた。…自分も殴られたりして、痛かったはずなのに…私達のことは見捨てて、逃げればいいのに」
「…根っからの優しい人なのね。責任感が強いだけじゃ、そこまで出来ないわ」
「…うん。…それで、一年前、そのお母さんがお父さんを摘発したの。…どんな人でも、私達にとっては父親…だから通報なんて出来なかったんだけど、お母さんが見兼ねて…。…お父さんは、虐待の他にも色々悪い事してたみたいだから、すぐに捕まった。…お母さんは、『あなた達から父親を奪った』って、何度も謝ってくれた…あの人は、何も悪くないのに」

お母さんは、救ってくれたのに…、と。独り言みたいに呟く里乃の顔は、本当に嬉しそうで。血の繋がりはないかもしれないけど、その人は、里乃にとって本当の家族なんだろう。自分と弟を救ってくれた…決して、残しては死ねない家族。

「…お父さんもいなくなっちゃって、私達はお母さんにとって完全に他人になったのに、今でも面倒を見てくれてるの。…私一人の稼ぎじゃ、生活するのは難しいだろうって。…弟もたくさん笑えるようになったし、私、今はすごく幸せなんだ…」
「……」
「……なのに、ろくでもない男に引っ掛かって、挙げ句に刺されて、こんな所にいる。…しつこく迫ってきた彼を断れなかったのも、別れた後にちゃんと気を付けなかったのも、全部私自身のせい。……死ねないよ」

大切な家族であり、恩人。それを残して、勝手に死にかけて…。死ねない。死んじゃいけない。里乃も…私だって。私の人生なんて、里乃に比べたらたかがしれてるけど、それでも私にとっての両親というのはかけがえのない恩人だ。里乃の義理の母親みたいに、人生を変える劇的な何かをしてくれたわけじゃない。ただ、私の人生を静かに守ってくれた。大した悲劇もなく、救いを求めずに今まで生きて来られたのは、全て平穏無事に育ててくれた両親のお陰。これだって、紛れもない恩だ。
死ねるわけがない。…例えば、この世界に愛情を持っても。
 
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