フィヨルディア

□第8話:夏のある一日
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〜夏のある一日〜



6月も半ばを過ぎると、大分暑くなってくる。この世界にもちゃんと雨期というのはあるらしく、ここ最近はずっと雨が続いていたのだが、今日は珍しく青空が広がっていた。いい天気に嬉しくなって、久々に外に出たいなどと思い至ったのは、他でもなく私だ。…けど、まさか日が出ているとこんなに暑いなんて思わなかった。

「…紅華って、暑さに弱いタイプ?」
「……暑さにも寒さにも弱い、軟弱な都会っ子よ」
「これから夏本番だってのに、そんなんじゃ先が思いやられるぜ〜?はい、アイスティー」
「…ありがと。でもその台詞、あんたに言われるとなんかムカつくわね」
「………紅華の言葉があれば、俺は真夏でも凍えられる気がする」

でも実際、仄の言う事はもっともだ。6月中旬で暑さにバテてたら、先が思いやられる。いや、まだバテてるという程ではないんだけど、この先に不安を抱いている。今年は夏を乗り切れるだろうか…と。夏と冬に差し掛かる時期には、毎回思う事だ。思うだけで、ちゃんと毎年乗り越えられているから、今回だって大丈夫だろうけど。
中庭の片隅で、仄が持って来てくれたアイスティーを飲みながら、無駄に時間を浪費する。すごく無駄であり、同時に貴重な時間だ。人生、無駄な時間というのも必要だと思う。…その無駄な時間を共に過ごすのが悪魔だというのは、ちょっとどうなのかな、とは思うが。

「そんな暑いなら、部屋戻る?」
「いい。そこまでじゃないし、こんな天気のいい日なんて最近じゃ珍しいじゃない。外で過ごさなきゃもったいない気がする」
「だよな〜。でも、紅華って外出るの嫌いなんだと思ってた」
「まぁ、あまり活発じゃないから、なかなか進んで出ようとは思わないわね。でもたまには出たいとも思うわよ。梅雨の時期の晴れ間なんか特にね」

あまりにも暑かったり寒かったりすると嫌だけど。今日くらいの陽気なら、多少暑くても構わないと思える。日向は結構暑いけど、日陰に入っちゃえばそれなりに涼しいし。
中庭には、大きめの木も何本か植えてある。その中の一本の木の下で座って過ごしているわけだけど、何もせずにぼーっとしていると、流石に少し退屈になってくる。だからつい、取り留めもない思考を口に出してしまった。

「…木の上って、涼しそうね」
「は?」
「木の上よ。枝も太くてしっかりしてそうだし、乗っても折れなさそう」
「…」

…思いつきで喋り過ぎた。自分の言葉を思い返して少し恥ずかしくなる。今のはあまりに子供っぽ過ぎた気がする。木に登りたいと言ったようなものだ。…いや実際、ちょっと登りたいと思ってしまったのだけど。

「……ごめん、何でもない。忘れて」
「…木の上か〜。確かに、涼しくて気持ちよさそうだよな」
「だから忘れてってば。気にしないで」
「いや、俺も思ったんだって。行ってみる?」
「行くって?まさか木登りしろって言うの?流石にそこまでしようとは…それに私、今日――」
「木登りなんかしなくても、飛べば簡単に行けるよ」
「は?飛ぶ?」
「そう、飛ぶ。…紅華、悪魔に羽根があるって忘れてない?」
「あ」

それはもう、バッチリ忘れていた。そう言えば、初めてこの世界に来た日に、仄が羽根を出し入れしてるのを見た気がする。あの時は自分の状態の方が気になってたから流してしまったけど、今思えばかなりインパクトのある光景だったと思う。現実世界で羽根の生えてる人はいない。
改めて目の前で羽根を出されて、おかしな事に初めて見た時より驚いた。綺麗な…深紅の羽根だ。

「…それって、飾りじゃなかったのね」
「もちろん。ちゃんと飛べるぜ〜」
「でも、飛んでる人なんて見た事ないんだけど」
「ああ、そりゃまあ、歩く方が楽だから。飛ぶのって、結構疲れるんだよ」
「…飛ぶ方が楽なイメージがあったわ」
「そうでもないんだな〜、実は。それに、ここで生活してて飛ぶ必要なんてほとんどないしね。そもそもが人間向きに作られてる屋敷なんだから、飛ばなきゃ行けないような場所はないし」
「ふぅん。でも高い所の掃除には役立ちそうね」
「…なんか夢のない発想だな。ま、確かに高い所行くには楽だよ。だからほら、木の上にだって…」
「え、ちょ、…きゃっ!」

急に腕を引かれたと思ったら、制止の言葉を口にする間もなくお姫様抱っこをされ、そのままフワリと飛び立たれてしまう。悪魔に抱かれたまま飛ぶだなんて相当希少な体験だと思うが、そんな事を気にする余裕はなかった。お姫様抱っこをされてるという状況にキュンとなってる場合でもない。もちろん、地面から離れて怖いと思っているわけでもない。それより何より、今の私には気にしなくてはいけない事があった。だから木登りもしなかったのに…。気が付いてくれなかったこの馬鹿を殴りたい。
 
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