【本】無印夢

□幸せを告げる
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「こんな時間まで付き合わせて悪いな」
『別にいいよ。私も特訓できてよかったし』


日は落ちて薄暗くなった河川敷
唯と豪炎寺は練習の時間が終わった後も、遅くまで連携技の特訓をしていた
キリをつけて泥で汚れたスパイクやボールを片し、帰る準備をする


『豪炎寺くん、時間大丈夫?』
「あぁ。今日はフクさんがいないし俺一人だからな」
『あ、お休みなんだ?』


父が医者でなかなか家に帰ってこないことや、それ故に豪炎寺の家に家政婦がいることを話に聞いていた唯は自然と話の流れを汲み取った
だから今日遅くまで練習したのか、と納得すると自分のボールとスパイク袋を持って河原をあがる

二人の家の方向は別なのでじゃあね、と唯が別れを告げて歩き出そうとした瞬間、がしりと右肩を掴まれた


「その…ウチに来ないか?」
『え?』
「家、誰もいないんだろ?なら飯ぐらいご馳走する」
『でも豪炎寺くんに悪いよ…』
「それにこんな時間に一人は危ないだろ」
『そ、れは……』


そうだけど…語尾が小さくなった
今の心境を一言で言うならば恥ずかしい
二言で言ったら恥ずかしい、でも嬉しい、だ

「じゃあ行くか」

歩き出した道は、いつもと違う、貴方が帰る道










家までの時間が妙に短く感じた
練習の疲れもあってかあまり会話はなかったものの、隣を歩く相手を意識するだけで脈打つスピードまでもが早く感じる

マンションの“豪炎寺”と書かれたプレートが見えた部屋へ当たり前だが慣れた足取りで向かう豪炎寺、それを追いかける唯
鍵を開け、扉を開ける



『お、お邪魔します』
「ボールとスパイクは玄関に置いて構わない。荷物はこっちに置いといてくれ」

『あ、うん!』



玄関口で一時停止していたのを豪炎寺に覚まされ、慌てて玄関にボールとスパイクを置きこっち、と指差された部屋へ足を踏み入れた
恐らく豪炎寺の部屋だろう。サッカー関係のものが多く見られる
部屋の隅に荷物を置けば、待っててくれ、と言われたのでベッドを背もたれにして床に座り込む
鞄を持っている辺り、きっと洗濯物を出しにでも行ったのだろう

ぱたん、ドアが閉まり知らない家に思わず周りをキョロキョロと見回す
豪炎寺らしいというかなんというか、無駄なものが一切ないその部屋に思わず笑ってしまう
ふと視線を机にやれば、あるものが目に留まった
座り込んでいた体を持ち上げ、それを手に取ってみる



『写真だ……』



そこには、豪炎寺の母親と父親と思われる人物に、今より幼い顔立ちの豪炎寺と夕香の姿の映った写真
写真立てに大事そうに保管されている


『夕香ちゃんも…豪炎寺くんも可愛い………』


現在は世間的に見れば目付きがキツく、カッコイイと言われる方に分類されるであろう彼がこんなに穏やかな顔で可愛いだなんて、とふふっと笑ってしまう
写真片手に笑っていると、再びドアが開き豪炎寺が戻って来た
いくら昔とは言えど、中学生男子に可愛いだなんて呟いてしまったので、思わず赤面した顔でビックリして勢いよく写真を机に戻す



『ごごごめんね!目に入っちゃったからつい…!』
「いや、別にいい。隠す程でもないからな」



両手をパタパタと振っていれば、豪炎寺が隣に歩いてきてその写真を手に取る


『その女の人…お母さん?』
「あぁ。…家族で撮ったのはこれだけなんだ」
『………』


上手い言葉が出てこない
その写真に映る豪炎寺の母親は、もういないと知っているから
家族を失う気持ちはよく知っている
でも、まだ幼かったであろう時に母親を亡くす痛みは、唯にはわからなかった
胸にぽっかりと穴が開いたような、そんな感覚なのだろうか。でもそれは所詮憶測に過ぎない
唯は写真立てを持っている豪炎寺の右手にそっと自分の手を重ねる



『豪炎寺くんのお母さん
修也くんと夕香ちゃんを産んでくださってありがとうございます
二人のお陰で、私は今幸せです』


写真に向かって、唯のありのままの気持ちをぶつける
豪炎寺は黙ってそれを聞いていた


『だから………こんなに素敵な息子さん達をずっと…ずっと見守ってあげて下さい』


切なる願い
もうこれ以上、彼が悲しい思いをしませんように








「氷星……ありがとう」
『どうして豪炎寺くんがお礼を言うの?勝手に豪炎寺くんのお母さんにお願いしたのは私だよ。気にしないで』

ふわりと笑えば、豪炎寺の顔が赤くなる
それを隠すように手の甲で口元を隠しながら、机に置かれた写真を見つめた



「俺が今から言う事は独り言だ」


そんなことを断り、小さく、でも唯に聞こえるぐらいの声で呟いた


「母さん…俺も今……幸せだよ」


その言葉に唯も顔を赤くしながらも、唯はもう一度はにかんだ様に笑うのだった








(このオムライス美味しい…!豪炎寺くん料理上手なんだね)
(まぁ昔から自炊しないといけなかったからな)
(私ちょっと料理が苦手だから…羨ましい……)
(……簡単なものだったら教えられるぞ?)
(ほ、本当?じゃあその…今度教えてもらってもいい…かな?)
(あぁ)



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