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□零
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※狼化




静かすぎる、と思ってから、もうどれくらい経ったのだろうか。
冬が近付く森の中は、まるで屍のように静まり返っていた。
冬が原因なのではない。
大規模な森林伐採が行われた。
草を食む草食動物が大幅に減少した。
そして、俺たちのような肉食動物が、餌を奪われ死滅に向かっている。
餌を求めて麓に降りれば、人間に狩られる。
だからといって森の奥に食物が残っているわけでもない。
完全に行き場をなくした俺たちは、可能な限りエネルギーを温存して生き続けていた。

夜が来る。
毎晩響いていた仲間の声は、とうの昔から聞こえない。
やっと出会えた仲間である月光さんは、撃たれた傷の痛みに耐えるように荒い呼吸を繰り返していた。

「・・・月光さん、」

呼びかけて、下腹部の傷口に口を寄せる。
未だ滲む血は傷の深さを物語っていた。
慈しむように舌で舐めれば、ぴくり、と身を震わせた。
この傷では、次は逃げ切れない。

「毛利、いいからもう休め」
「・・・」
「少しでも動くな。体力を残しておけ」

もう数週間、二人ともまともに食べていない。
動物は食い尽くした。
見つかったとしても、追い続ける力がない。
きっとこうして、仲間は死んでいった。

申し訳程度に傷を癒して、口を離す。
月光さんに寄り添って、お互いの熱が奪われないようにする。

「月光さん、俺、明日西の方に行ってきます」
「・・・西か」
「ええ、まだあんまり行ってないでしょ。餌あるかもしれません。人里には近付かんよう

にしますから」
「気を付けろ」
「はい」

行くなと言わないところから、相当弱っていることが分かった。
それに胸を痛めながら、祈るように目を閉じて、眠りの中に逃げ込んだ。










翌日、まだ眠っている月光さんを置いて、俺は西に向かった。
さえずる鳥も減ったものだ。
不気味な程静かな朝の中、進んでいくと、人里が近いせいか人間の臭いがした。
警戒心を強めて更に足を進める。
五感を研ぎ澄ませて、辺りに集中する。
すると背後から物音がして、素早くそちらに体を向け体勢を整えた。

「・・・!!」

そこで目に入ったのは、俺と同じ狼二頭だった。
全く瓜二つの作りから、双子だと分かった。
仲間に会えた喜びを味わったも束の間、

「殺されにでも来たの」

片割れが冷たくそう問う。
声は随分小さく、弱り切っているのが分かった。

「・・・餌を、探しに」
「その前に、狩られるよ」

もう片割れが、同じく小さな声で囁いた。

「上に行ってもだめ、下に降りてもだめ」
「もう行き場なんかないよ」
「なのに、まだ生きようとしてるの?」
「「かわいそうだね」」

声を揃えてそう言われて、俺は息を呑んだ。
二頭は何もかも諦めた虚ろな目で俺をじっと見つめた後、きびすを返して去っていった。
絶望を確固たる言葉にされて、俺は立ち尽くす。
そう、最早行き場など、ない。
数回そう繰り返していると、濃くなった人間の臭いに気付き、我に返ってその場を去った。









「・・・帰ったか」

日が落ちた後に寝床に帰ると、横たわったままの月光さんがそう言った。
俺はすみません、と呟いて、近くに身を置いた。

「・・・何も、なかったです」
「そうか」
「・・・すみません」
「謝るな」

月光さんは酷く優しい笑みを浮かべて俺を見た。
それは見たこともない表情だった。
俺は息を呑んで、じっと月光さんを見つめる。

「・・・月光さん、」

首元に鼻先を押しつけると、月光さんは小さく息を吐いた。
血の臭いが混じった月光さんの香りを嗅ぐ。
何だかたまらなくなって、口を開いて首筋に甘く噛みついた。
月光さんは鼻先を天に向けて、心地よさそうに目を細めた。
数回味わうように噛んでいると、月光さんの歯が俺の耳を食んだ。
ふる、と思わず身を震わせて月光さんを見ると、やはり優しく微笑んでいた。
ああ、最期だ。
直感的にそう思った俺は、月光さんの口先に噛みついた。
牙がかち合って、鈍い痛みが走る。
一度少し距離を取って、互いを見つめる。

「・・・毛利、」
「・・・はい」
「次は雌に会えたらいいな。そして必ず、子孫を残せ」
「・・・はい」
「俺の体を食べれば、しばらくもつだろう」
「・・・はい」

返事は掠れて消えていった。
おぼつかない俺を慈しむように、胸に抱きしめてくれる。
あたたかい。
ぬくもりが少しでも逃げないように。
この一瞬でも、一つになれたら。
不器用に絡み合って、そしていつしか眠りについた。










翌朝目覚めれば、冷たくなった体が一つ。
俺は未だに熱を持って、ここにこうして生きている。

「・・・月光さん、」

安らかに眠った表情に、思わず笑みがこぼれる。
痛みから解放された亡骸は、とてつもなく美しかった。

朝は平等にやっては来ない。
けれどもその朝をまた一日、彼は俺に与えてくれる。
ならば、ならば、

「・・・あいしてます」

誓うようにそう呟いて、彼の首に歯を立てた。



















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