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□トロイメライ
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※大学生
※悠馬視点
※喫煙描写有








「悠歩がいなくなる夢を見た」

喪失感を携えたまま、朝の光の中でそう告げる。
悠歩はコーヒーを飲みながら私を見ていた。

「いや、違う。初めから、悠歩なんて存在しない夢だった」

コーヒーから立ち上る湯気が、香ばしい匂いを漂わせる。
カップを机に置いて、どこか諦めたように悠歩が言った。

「それが本当なのかもしれないね」

興味がなさそうな悠歩に腹が立った。
所詮私の言葉なんてそんなもので、悠歩の中枢を崩すことなど出来やしない。
言葉の等価交換は難しい。
片方が力を注げば注ぐほど、空回りをする。

痛み分けをして生まれてきた。
そう思っていたし、かつて悠歩もそう思っていただろう。
私たち「二人」という構図は、「特別」な存在だと思っていた。
それが「当たり前」になることに、二人の中でタイムラグがあった。
私は未だに「特別」なものとして崇拝し、そのおかげで苦しんでいる。
悠歩は違う。
早々に「当たり前」の地位を獲得し、解放された。

「胡蝶の夢みたいに?」
「うん」

これが夢ならばと何度も夢想した。
けれども私はいつまで経っても私のままで、何も変わりはしない。
一つになりたい。
そう思うことがよくある。
その欲求は日に日に大きさを増している。
酒の力を借りてそう告白した時の悠歩の困った表情は忘れられない。
だがそんな出来事は幻だったかのように、またいつもの日常を暮らしていた。

「今日は一限目?」
「うん、もう出るよ」

そう言って悠歩はカップを片付けて、自室に向かった。
同じ大学に進学してから、ルームシェアを始めた。
学科は違うため、出る授業も違う。
テニスも違うサークルに所属しており、二人とも遊び程度にやっているだけだ。
刺激のない毎日だった。
これが当然で、何も不満はない。
私は私のままで、悠歩は悠歩のままで。
それだけのことだ。











「別れた」
「今回は長続きしたね」

数日後、私は彼女との結末を悠歩に伝えた。
今回は、という言い方に笑った。
確かに長続きはしないことが多い。
それは、あまり好きではなくても付き合ってしまうのが原因なのだろう。
別に悪くない、という感情に一縷の望みを持ってしまい、付き合いを始める。
簡単に言えば私は「軽い」のだ。

「悠歩はないの、そういうの」
「しばらくはいいかな」

悠歩は私ほどではないが、さほど恋愛に固執していない。
数ヶ月前に彼女と別れてから、自由を謳歌していた。
やめさせられていた喫煙も復活して、美味しそうに吸っている。
私は好んでは吸わない。
悠歩が吸っていて気が向いたら分けてもらう程度だ。

「ちょうだい」
「うん」

気が向いた。
一本煙草をもらい、火をつける。
煙が肺を侵略する。
悠歩が吸えば吸うほど、私よりも早く死ぬのだろうか。
定説に従えばそうなるが、この年齢の私にとって「死」はあまりにも形骸化した概念だった。

「そう言えばこの前、三津谷に会った」
「三津谷?」
「悠歩覚えてない?合宿で会った、いっこ下の」
「ああ、思い出した。どこで?」
「駅前のカフェでバイトしてた」
「そう」
「相変わらずだった?」
「うん、相変わらず涼しげだった」

悠歩が笑う。
半透明の煙が舞う。
私が吐いた煙がそれに混ざり、絡まる。

「あの髪型のまま?」
「うん。眼鏡はちょっと変わってた気がする」
「そう」

他愛がない、という言葉がこんなにも似合う空間はない。
その空間の中で、ふと悠歩を抱きたいという衝動に駆られた。
以前から曖昧な欲求としてくすぶっていた感情が、突然はっきりとした形を成す。
自分と同じ顔を持つ個体に性的欲求を感じる。
これはナルシシズムの一種なのだろうか。

「ねぇ悠歩」
「なに」
「愛してるよ」
「・・・それは次の人に言ってあげて」

悠歩の呆れた顔が突き刺さる。
歪んだ口から吐き出される煙。
空気に溶けた彼の呼吸。

「ごめんね」

曖昧な私の謝罪は悠歩の表情を更に曇らせただけだった。















「三津谷と寝た」

数日後の夜、日常会話の延長でそう言った。
悠歩は飲んでいたコップを机に置き、

「・・・言わなくていいのに」

溜息をつきながらそう言った。

「報告したくて」
「付き合うの」
「分からない」

私は悠歩の近くに腰を下ろし、テレビに目をやりながら続ける。

「三津谷だって、軽い気持ちだったと思うし」
「そういう人なんだ」
「多分」

悠歩が何か言いたげに口を開いたが、それを誤魔化すように煙草をくわえた。
しばし黙って過ごす。
テレビの無意味な音と、煙草の煙が倦怠感を誘う。

「ねぇ悠馬、ずっと言おうとしてたんだけど」
「うん?」

思わず目を閉じかけた瞬間、悠歩が口火を切った。

「私、次の学年になったら実家に帰ろうと思う」
「・・・え?」

突然の議題に驚き、目が覚める。

「ほら、次からキャンパス変わるし、実家からでも通えるでしょ?だから、その方がいいかなって」
「ちょっと待って、じゃあここから出ていくってこと?」

私の声音に悠歩は一瞬怯んだが、すぐに頷いた。

「・・・うん」
「なんで」
「なんでって、実家の方が楽だし」
「そうじゃないでしょ」
「・・・なにが」
「悠歩は、私と離れたいんだ」

激しい口調に自分でも驚いた。
悠歩の表情が露骨に歪む。
必死に笑顔を繕おうとしているがため、奇妙にうつった。

「・・・離れたい、じゃなくて、離れた方がいいって思ってるだけ」
「どう違うの」

更に語調を強くして問い詰めた。
悠歩は私の目を見て、言葉を探していた。
言いたいことが宙に浮いているような、心許ない様子だった。

「・・・私は、悠馬とは違う」

やがて意を決したように、どこか祈るように、そう声を絞り出した。

「どういうこと」
「悠馬みたいに、一つになりたいなんて、思ってない」

それは死刑宣告のように私を貫いた。
別の存在になっていることは(いや、生まれたときから、そうかもしれないけど)承知の

上のはずだった。
しかしこうして価値観の差異を露呈させられると、その衝撃は思いの外大きかった。
抵抗の言葉を持ち出そうとする私を遮って、悠歩は続けた。

「私は一つになりたいんじゃなくて、悠馬になりたかった」
「・・・どう違うの」
「全然違うよ」

突然の提唱に、頭痛がした。
私に、なりたい?
疑問符が脳を巡って、全身を支配する。

「悠馬が言う一つになりたいっていうのは、自分のことを愛してるから言えるんだ。自分を残したまま、私と一つになりたいって。私は違う。私は自分が嫌いだし、ずっと悠馬みたいに生きられたらって思いながら生きてきた。悠馬が羨ましかった。悠馬の生き方が、全てが羨ましかった」

そこまで息つく暇もなく吐き出してしまうと、過呼吸のようになっていた。
悠歩の目にはじんわりと涙が浮かんでいた。
私は言葉が見つからず、呆然と悠歩を見ていた。
悠歩は暫し俯いていたが、やがて目を上げて私と視線を合わせる。

「だから、もう、限界」

遺言のようだった。
悠歩の右目から涙が伝い落ちる。
拭いもせずに立ち上がると、自室に戻っていった。
ドアを閉める音が無機質に鼓膜を震わす。

「私が、」

悠歩を苦しめていた?
声に出してみると、その現実はひどく重いものだった。
私は、自分が愛おしいと思っていた存在を、自分の生き方によって、苦しめていた。
何という顛末だ。

床に体を横たえ、目を瞑った。
目覚めれば、全て夢。
目覚めれば、私はいない。
初めから、私なんかいない。
そう願った。


















―――――
陸奥兄弟は難しい

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