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□ガロット
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夕暮れの鈍い光が、柳の肢体を陰鬱に照らす。
くたり、とうなだれた四肢は、まるで陶器のようだ。
汚れは大抵拭き取ったが、無理矢理押し入った部分からはまだ鮮血と白濁が伝い、柳の太股を汚していた。
「…風呂を、貸してほしい」
「あ、そうじゃな…」
ゆっくりと身体を起こした柳は、掠れた声でそう言った。
伝った液体が、床に落ちる。
「…すまない、汚した」
「…いや、」
何故柳が謝るのか。
無理矢理行為に及んだのは、俺の方なのに。
そんなつもりはなかった。
自室に柳が来ることは初めてで、幾ら柳のことを密かに想っていたからと言って、常識は弁えている。
弁えていた、はずだったのに。
日頃とは違う襟ぐりの大きなシャツ。
柳が読みたいと言ったから持ってきた、俺の父親の古い本の匂い。
小さな閉鎖空間で初めて実感した、柳の体温と呼吸。
それらが混沌と混じり合って、俺を狂わせたのだった。
「…すまん」
風呂に向かう柳の背中に、小さく投げかける。
柳は振り向くと、寒気がするほど優美に笑った。
瓶詰めにされた蝿の塊を見やる。
上段にいる蝿はまだ蠢いているが、下段に積み重なっている蝿は、明らかに息耐えていた。
「この蝿たちは、遺伝子操作をされて口がなくなってます。だから、生まれても食物を摂取することが出来ずに死んでいきます」
何事もないようにそう説明する教師を見やる。
多方面から悲鳴や揶揄の声が聞こえてきた。
気味の悪いその瓶を眺めていると、突然、昨日の光景がフラッシュバックした。
非難と恐怖の目で、俺を見上げる柳。
やがて抵抗する気をなくした彼は、まるで瀕死のように静かに鳴いていた。
そうして手を離した時には、冷たい死体のように崩れ落ちていった。
吐き気を抑えながら、授業をやり過ごす。
理科室の重い扉を開けると、次のクラスが待っていた。
そこに、一番会いたくない姿を見つける。
「仁王」
「…!」
「今日は雨だから、室内メニューだ」
「お、おう…」
柳を見れなくて、思わず目を伏せる。
急激に汗が吹き出して、目眩がした。
「どうした?」
「…」
何が、どうした、だ。
本来は、何もなかったように接してくれる柳に、感謝しなけれはならない。
けれども、そう思えるほど、俺は大人ではなかった。
「何でそんな、普通でおれるん…」
「何で、と言われてもな」
柳は一呼吸、考える。
「普通にされるのが、一番辛いんじゃないか」
「…」
「ちゃんとお前のことを、考えてやってるだろう」
「…」
どうすれば、自分を傷付けた俺を、一番傷付けることが出来るか。
頭の切れる柳にとっては、きっと簡単な問題なんだろう。
「…憎んでないん、俺のこと」
「憎む…?そうだな、例えるなら、」
柳は笑う。
何がそんなに楽しいのだろう。
俺は泣きたくなった。
「お前が次にうまれかわる時は、遺伝子操作をしてえらのない魚にしてやりたい。それくらい憎んでいる」
俺はそんな来世を想像する。
やっとの思いで得られた生は、最初の呼吸を知らずに消えていく。
瓶底に重なった蝿さえも、呼吸の喜びは知っているというのに。
「…すまん、柳」
「…」
「何でもするから…許してくれ…」
「…短絡的だな」
柳はそれだけ呟くと、その場を去った。
呼吸なんかいらない、今すぐ、呼吸なんか手放してしまいたい。
そう、叶わないことを願うしか、俺には出来なかった。
―――――
本当に可哀想なのは柳なのに可哀想に見えるのは仁王くん!みたいな話を目指しました!(目指さんでいい)