木漏れ日の中で。

□十四話
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振り返らないと決めた。
ありきたりな決意だが、私には大きかった。
先生がまだそこで見守っていることくらいわかっていた。
一度でも振り返れば、私はこの足をもう一度前に向けることは、きっとできない。
意地でも、振り返ってはいけなかった。

地面を睨みながら、進んでいる感覚もないままに、歩いて。
草履が踏みしめるその地面が、草の生い茂る獣道に変わったころ。
私は顔を上げた。
辺りはもう、山中だった。

初めて、振り返った。

見下ろす、いままで歩いてきた道。
田の間を縫って、くたりくたりと曲がっている。
きんと冷えた空気を切り裂いて、太陽は頭上より少し南東に在った。
弾かれた金色の光が眩しい。
もう朝も遅い時間だった。

「……ぎんとき」

もう起きているだろうか。
まったくいつも遅くまで寝ているくせに、何故講義中まで居眠りできるのか。
そのくせ剣術となれば途端に目を輝かせるのだから。
人間、ある程度の教養も必要だぞ。

「しんすけ」

塾が休みである今日も、なにかと理由をつけて遊びに来るのだろう。
それで銀時と喧嘩をして、また先生が仲裁に入って。
どうせまた数分後には別のくだらない原因で喧嘩を始めるに決まっている。
これ以上、先生の心労を増やすな。

「こたろう」

また電波な物言いで喧嘩中の二人の神経を逆なですることだろう。
そんなこと言ってる暇があるなら喧嘩の仲裁に入ればいいのに。
真面目に講義を受けて、真面目に剣を振るって、真面目にボケて。
ある意味お前が一番厄介なんだぞ。

「……せんせい」

貴方は、私をどうあの三人に伝えるのでしょう。
よくよく考えて貴方の元を去った私だが、その後のことを丸投げしてしまった。
あの三人の相手は、さぞ根気のいることでしょう。
最後に手を煩わせてしまい申し訳ない。


折あらば、またお会いできることを願います。


「……あ、」

知れず、声が零れた。
折あらば、などと。
私が一番わかっていた。
折などない。
きっと
きっともう、会えない。

それでもいいと思った。
今生の別れとなろうとも、皆の暮らしの平安を願った。
私の見えないところでだって、皆が笑っているならそれでいいと思った。
私も笑えると思った。

それなのに。

「あ……」

頬を転がる涙は、
息ができないほどの胸の痛みは、
笑うことなどもうできないと思えるような、この喪失感は。
何故。

私は獣道に膝をついた。

「う、あ……」

声が零れる。
己の意志ではどうしようもなく。
苦しくて苦しくて。
喘ぐように息を吸って。
爪の間に土が入り込むことも捨て置いて。
顔が涙でぐしゃぐしゃになるのを感じながら。
道端に蹲って、喉元をせり上がる嗚咽を殺すこともできずに泣いた。
苦しくて、哀しくて、切なくて。
どうしようもないほど、寂しくて。

数ヶ月。
僅か、数ヶ月の間だ。
季節がひとつ、移り変わる程度の、ほんの刹那だ。
それでも彼らの存在は、私の中で大きく、大きく膨らんでいた。
家族を失ったことで空いた穴を埋めるつもりだった。
大きすぎる穴だった。
初めは埋まるかどうかさえわからなかった。
だというのに、この数ヶ月。
暖かな家があって、美味しいご飯があって、ふかふかの布団があって。
傍で見守ってくれている、親のような人がいて。
そして共に学び、共に剣を振り汗を流し、共に庭を転げ回り、
時に取っ組み合いの喧嘩をし、時に叱られ、時に布団を並べて眠り、
いつも共に笑いあった、友がいて。
これ以上、一体何を望むと言うのだろうか。

大好きだった。
満たされていた。
確かに、幸せだった。

すぐにでも、来た道を駆け戻りたい衝動に駆られた。
土ではなく、先生の香りに包まれて泣きたかった。
きっとあの三人は馬鹿みたいに叱ってくれる。
晋助は実のところ泣き虫だから、目にいっぱい涙を溜めてこちらを睨んでくるのだろうな。
けれどいつの間にか仲直りして、また四人で馬鹿やって先生に叱られるのだ。
正月には、先生ははりきっておせちを作るだろう。
作りすぎてきっと余ってしまうから、数日はずっとおせちなんだ。
二月の節分には、先生を鬼にして豆まきをしよう。
三月には雛祭りがある。
桜が咲いたら、みんなで花見に行こう。
夏は海へ行って、砂浜に大きな城でも建てようーー




全部、私の夢物語に過ぎない。
叶うことはないとわかっていてなお、そんな未来を夢見ずにはいられなかった。
だから、せめてーー

私は、そっと顔を上げて立ち上がった。

だからせめて、私は共に在れずとも、皆がそんな風に笑い合える未来を願おう。
離れた場所から、皆の幸せな笑顔を祈ろう。

ごめんなさい、先生。
貴方に誓った約束、ひとつ破ってしまいました。
私は、どうも一人で全て解決したがるようです。
でも、これは私のけじめだから。
許してください。

私はもう一度、獣道の前方を見た。
この道を抜けて、山を三つと峠を二つ越えれば本家だ。
殺されないとは言ったが、どうなるかわからない。
幽閉生活は免れないだろうと思う。
それでも。

それでも、生きている限り、愛しい貴方たちを想うよ。
忘れられない数ヶ月を糧に、これからを生きていく。



その先の未来で、また共に笑い合えることを信じて。








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