◇OP(PINK HOLIC)◇
□『クラヤミ』
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「よーし、異常なしっと」
部下たちを先に上がらせて、おれは黒鯨のハッチでボートを洗いがてら点検まで終らせる。
出撃後の習慣になったこの作業は、おれにとって殺戮隊の隊長からコック隊の隊長に頭を切り替える大事な時間だ。
「アレ見たら、さすがにマルコも笑うかな」
自分を模された果物を見て最初は怒りもするだろうが、きっと最後にはいつも通りに笑ってくれるはず。
なにせ、クールなフリして実はお祭り騒ぎも大好物なのだ。
しょうがないといった顔で笑う恋人を想像して、にひ、と自然に頬を弛めた俺はググッと背筋を伸ばした。
その瞬間…
《ドン…ッ!!》
「!?」
背後からの突然の衝撃に思わず全身が大きく揺れる。
何事かと振り返れば、そこには口許を引き吊らせる見知った顔があった。
「…ティーチ、なに…」
状況の理解できないおれは、なぜティーチの手に真っ赤なナイフが握られているのか、それが気になった。
もしや敵襲かと駆け出そうとして、背中から走った鋭い熱さに思わず膝から崩れ落ちる。
「くはっ!」
臓腑からせり上がった血の塊が呼吸を遮り口から飛び散った。
血を失ったことで急速に下がる体温で顔が青ざめていく。
吐き出した血とは違う床に広がる赤を見て、ようやくおれは自分が刺されたのだと気がついた。
「お前が悪いんだぜ、サッチ。
お前がこの実を手に入れなきゃア、おれもこんなことする事はなかったんだ」
片手でナイフを握り、血塗れのまま悪魔の実の入った箱を奪うように抱きかかえたティーチは、狂笑にも似た笑みを浮かべて口早に言葉を並べたてる。
ティーチの態度に落ち着きが欠けるのは自分のしでかしたことをわかっているからだ。
天井無しに熱を上げる相手のテンションに比べ、自分の頭が異様に冷めていく。
「おれはずっとこの実を探してたんだ。そうだサッチ、お前は運がなかったのさ!」
「…ぅぐ…ッ」
二度目の喀血に身を折ったおれは赤いしじまに手をついた。
視界が徐々に霞み、方向感覚が薄れていく。
逆に濃くなっていく死の気配を感じたおれは、とにかくティーチの裏切りを仲間たちに報せなければと必死に考えを巡らせた。
「ああ…目的を達成するなら最後まで手を抜くな、ってのはお前の『女』の言葉だったなァ」
母親が子供に言い聞かせるような教えを、言葉の主に反する男がおれの頭上に吐き捨てる。
そして振り上げたナイフの切っ先を今度こそと項垂れる首筋に狙いをつける。
とどめが来るとわかったおれは脳を重くするような鉄臭を思いきり吸い込み、ほんの一瞬だけ目を閉じた。
次の瞬間拓けた視界は鮮明に。
立ち上がった勢いのままガラ空きになったティーチの顔面を血塗れの手で掴み、そばにあった自分の剣を一気に振り抜いた。
それは、暗い部屋を走る刹那の煌めき。
《ドシャシャッ!!》
重量感のある肉の塊が大量の血を吹き出しながら転がる。
「あ゙あ゙あ゙あ゙ァァッ!!!」
一拍遅れて獣のような叫び声が部屋中を揺るがした。
床に転がるティーチに手足はなく、達磨になった男は自らの強い生命力が仇になって苦しみをムダに引き延ばしている。
おれはそれを見下ろしながら止めていた息を細く吐き出し、そばの木箱に腰をおろした。
「…なあ、ティーチ。
お前は何かと理由をつけちゃいるが、ようは欲しい物を奪うためにおれを殺しに来たんだろ。
だったらぐだぐだ抜かす前にこの首を」
自分の首を手刀で指し示す。
「落としゃ良かったんだ」
軽い仕種と裏腹におれの声は低く、感情の色はない。
今のおれは殺戮隊のサッチだ。
仲間を、家族を傷つける存在を独断で消す許可をオヤジに与えられている。
それがたとえ仲間であっても。
「最後まで手を抜くなってマルコが言ってただろうが。
なんて事はねえ。それがお前の敗因で、死因だ」
そう言うと同時に転がる樽のような腹を床板ごと刺し貫いた。
「ああ、そうだ。お前コレが欲しかったんだよな?」
腕を切り落としたときに一緒に落ちた箱を拾い上げ、中の実を取り出すと自分の顔に近づける。
「…ま、て…、やめろ…っ」
血泡を撒き散らしながら目をひん剥き、首を振るティーチ。
おれがこれからしようとしてることは、この男にとって裏切りの根底を覆されることだ。
甘い香りまで恋人に似たその実に唇を寄せる。
「やめ…」
「お前にやるぐらいなら
おれが食う!!」
一気に果肉に食らいついた。
「……ッ…」
言葉もなく苦痛にゆがむ顔が絶望に沈み、限界まで見開いた目が楽しげに口の端を吊り上げるおれを映していた。
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