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□bliss
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私はどうかしてしまったのだろうか。
こんなにもお前が恋しくて。悲しくて。哀しくて。苦しくて。
声が聞きたくて、抱きしめてほしくて、やり場のない愛しさだけがこみ上げてくる。
「家康……」
泥雨降りしきるあの日、あの時、
私達の糸は切れた。
初めてできた繋がりが、愛が、思いが、希望が、未来が消えた。
愛した男が、私の生きるすべを、秀吉様を殺し、裏切った。
そして今、私を滅ぼそうとしている。
……筈なのに…………。
(三成……)
あの男が笑う顔が、何度も私の名前を呼び、「愛している」と告げた口が、優しいあの目が脳裏に、よみがえる。
お前の腕に抱かれて。名前を呼ばれて。それだけで幸せで、心が満たされて……。初めて他人に求められる喜びを知った。
『愛しているよ、三成……』
嘘つき。
本当は愛してなんかないくせに。
あぁ、家康。
私は本気でお前を愛していたのに。
手にしていた小刀を抜き、そっと左の手首に添えて、刃をくいこませる。
白い手首から、赤黒い血が滲み、痛みが広がる。
「っ……。」
もう、この手を握ってくれる手はない。もう、あの温もりは帰って来ない。それでもお前を思わずにはいられない。
切なさと愛しさがこみ上げきて、目頭が熱くなって、涙が溢れた。
「……うっ、……く、……ううっ…」
殺したい。でも、愛してるからこそ殺せない。少しでも望みがあるなら、私のところに帰ってきてほしい。
(お前が居ないと、私は生きられない。)
「どうした、三成。何を泣いておる?」
ふいに後ろから声をかけられた。
振り返ると、刑部が心配そうに私の顔を覗きこんでいた。
「…刑部……」
刑部を見ると安心して、思わず抱きついて、刑部の胸に顔を埋めて、声をあげて泣いた。彼はそんな私に驚いた様子だったが、心情を察して、そっと抱きしめてくれた。
「…刑部……私はッ、…どうしたらいい?……家康が恋しくてっ、たまらないのに…殺したいなんて…考えてしまう……っ」
はて…、と刑部は首をかしげた。
「……主は…徳川をどうしたい……?」
「……え……?」
「徳川を太閤の仇討ちの為に殺すか?それとも、共に心中でもする気か?」
仇討ちの為に殺すか、共に心中するかなんて、どちらがいいかすぐにわかる。どうせ、この世にいても私が欲しいものは帰ってこないし、手に入らない。
それどころか、顔を見ることさえかなわない。
あぁ…ならばいっそのこと、家康を殺して共に死んでしまおうか。
そうすれば、きっと楽になれる。
そう思ったとたん、
『三成っ!!』
家康が私の名前を呼んで笑う顔がフラッシュバックした。
「………っ!!」
「……三成……?」
「…………嫌だ…………」
「…………」
「私はっ、……家康を殺せない………!!……殺したくない…………!!」
一息に言って、言葉と一緒に抑えていた感情も出てしまい、再び声をあげて泣いた。
「……うぅっ………ふ……っ、……ふぇぇっ…」
壊れたように、涙が溢れた。
その様子を見た刑部が、やさしく涙を拭ってくれた。だが、涙は止まらない。
「すまなんだ、三成。ちと悪戯が過ぎた。泣き止んではくれぬか?」
刑部の手は冷たいのに、なぜか温かく感じる。だが、私が欲しいのはこの手じゃない。傷だらけだけど、暖かくて、優しい、家康の大きな手。
刑部が家康の代わりだなんて思ったことはない。刑部は刑部だ。他の何者でもない。
わかっているけど、重なってしまう。
刑部の手に自分の手を重ねると、刑部は私を諭すような口調で話かける。
「…だが三成よ、恋しく思うだけではどうしょうもないのよ。……主も見たであろ、……あの時の徳川の顔を。」
「…家康の………顔……?」
あの時、
秀吉様の亡骸の傍に立ち尽くしていた家康。
首だけでこちらを振り返り、いつもの太陽のように全てを照らし、包み込む笑顔とはうってかわって、
心がそこに無く、何も愛したことはないというような目。
主君が殺されて憎いという感情よりも先に、″私は愛されてなどいなかった″という悲しみがこみ上げた。本当に愛されていたなら、私のことを思いかえして、思いとどまってくれたかもしれない。
(そんなことただの自惚れだ。……でも、私が家康にとって必要がなかったから捨てられたのは、まぎれもない事実だ……。)
あの時の家康の顔は、忘れることはないだろう。
「…徳川は……己が天下を取るため、東を従えつつある。いずれは西にもその手が伸びるだろう。…そうなった時、主はどうする?…否、戦うしかないのよ。」
「……刑部……お前は私に…家康を殺せというのか……?」
「……さよう。…でなければ、主が徳川にに殺されるのだぞ?それどころか、太閤が築いた世が崩れることになる。」
「……秀吉様の天下が……崩れる…?…私は…家康に殺される…?」
もう、天下などいらない。
秀吉様と半兵衛様がいない天下など、どうなろうと私の知ったことではない。
家康が私を殺そうと、私の最期の瞬間を迎えるまで、私のことを考えててくれたなら、私だけを見つめてくれたなら、それで十分だ。
「……それでもいい……。」
「………三成………?」
「私は……家康に会えれば、それでいい。他には何もいらない。」
「…だが三成、徳川はもう主を……」
すまない、刑部……。だが、私は家康に会えればいいのだ。
例え、家康が私を愛していなくても、どんな形であれ、その心に私がいるなら。
涙を拭って、刑部に向き直る。
「…刑部……。私が人を斬り続けたら、止めに来てくれるだろうか……?」
「…………」
「……家康は優しいから、きっと私を止めに来てくれる。…そうすれば、きっと……。」
刑部はしばらく目をそらし、何か
を考えてた。そして、再びこちらに向き直った。
「……あいわかった。……徳川とまみえるように仕向けよう。……だが、むやみに先走るでないぞ?…策は我が考える故……。」
「……わかった……。」
刑部はそう言うと、私に気を使ってそのばを後にした。
「…フ…フフフ……っ、あはははははっ!!!!」
誰も居なくなった部屋に、私の渇いた笑い声だけが響く。
あぁ。
ああ、家康。
お前が来てくれるまで、私は斬り続
ける。
昔みたいに、『三成は寂しがりやだから、ほうっておけない』って来てくれるまで、私はお前を待ち続ける。
家康………
早く会いに来て。
私を止めて。
ーendー