BSB
□言えない気持ちが雫となって
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初めて見た。
幸せそうに眠るあの人の顔を。
初めて聞いてしまった。
『アキさん…』
知らない人の名を愛しそうに呼ぶあの人の声を。
「はぁ…」
トボトボと気怠い体を引きずる様にして私は学校を後にした。部活で疲れたっていうのも、もちろんある。足は錘を付けているみたいにダルいし、クタクタだし、体中が悲鳴をあげている。
でも、体よりも、何よりも、心がどんよりと濁っていて重く、苦しかった。
「はぁ…」
「ため息吐くと幸せ逃げちゃうよ?」
「!、カイ君」
「一緒にかーえろ」
ゲロゲロとカイ君がカエルの鳴き声を真似しながら笑って言ってきた。
いつもなら良いよと答える。お互い今日あった事を話し合ったり、晩ご飯は何だろうかって、カイ君と笑って帰るのは好き。
好きだけど、今日は一緒に帰りたくない。カイ君はあの人の親友だから。親友だからカイ君の話には必ずあの人の名前が出てきてしまう。
いつもならその名前が聞きたくて、いつもなら知りたくて、喜んでカイ君の話を聞いていた。だけど、今はあの人の名前を聞きたくない。考えたくない。考えてしまうと、心がどんどん苦しくなって、ズキズキと痛みだすから。考えないように、思い出さないようにしようとしていた。
なのに、
「ねぇ、ゆうまさんにとってアキさんはどんな人なの?」
私の頭は無情にも昼間の出来事でいっぱいだった。
初めて見た。カイ君や弟の良郎君以外の人と親しそうにしているゆまさんを。否、あんなにも安心して身を委ねているゆうまさんなんて知らない。カイ君と一緒にいた時も、良郎君と一緒にいた時だってあんな顔見たことない。
あんなにも幸せそうに。あんなにも嬉しそうに。
あんなにも、あんなにも、
『アキさん…』
愛しそうに名前を呼ぶ人がいたなんて知らなかった。
「…、中学の先輩、憧れの人、鎮静剤、居場所、大切な人、必要不可欠な人」
するとカイ君は私の質問にズラズラと単語を並べていった。淡々と笑うことなく言うカイ君は機械の様で、ただ単語を挙げていく。
でも、その挙げられていく単語はどれもこれも胸に突き刺さる様なものばかりでじわり、じわりと涙が滲んできた。
そして最後には、
「総称して、ゆうまにとって特別な人」
はっきりとよく通る声で非情な答えを私に突き付けてきた。
心がさっきよりも重くなった。はっきりと言葉に表された分だけ涙が滲んだ気がした。
それでも私は震えそうになる声を抑えながら、
「…それは、カイ君や良郎君よりも?」
もう一つ自分の首を締める様な質問をカイ君にした。