未来のために・続

□42話 もう一歩
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「……」
「…本当にすまなかった」
 彼――兵部京介――は白髪を黒に染め、20才相応の服装に着替えて、私の向かい側に座って頭を下げている。ホスピスを退所して、一緒にいるだけでは満足できない自分をひどく恥じ、責めたい気持ちになっても黒い感情は容易にぬぐえない。私は、こんなにみじめで情けない、子供じみた人間だったの? そんな考えがずっと頭の中を支配して、ただ単にイライラする。60年もの時が経ち、昼時で賑わい、大盛況のカフェの片隅で言う言葉ではないけれど、ようやく口にすることができた。
「……。クイーンに対しては孫のように思っているかもしれないけど、私個人としてはそう思えない。単純に言えば嫉妬よ。普段欲張らない私が妬くくらい、あなたは彼女達に執着している。もう昔のことだけど、京介が好きだった。悪いとは思わない。本心よ」
「ごめん。僕のせいだ」
 私は何も言わず、黙ってカフェオレを飲む。本当に伝えたいのはこんな言葉じゃない。ひねくれ者の考えは、いつだって暗い。ポシティブ思考なんて、無邪気な心と一緒に過去という名のごみ箱へ捨ててしまった。さっきから謝り続けている彼の言葉なんて、右から左へと聞き流す。
「…それで? 伝えたいことがあるから出かけたんでしょう」
 黙れ。いつから私は、彼の上に立った気持ちでいる。思い上がるのも大概にしろ。上から目線で物事を言うのも、逆に言われるのも腹が立つ。分かったら口を閉じろ。そう自分に向けて命令する。男を尻に敷く性格ではないのに。心が壊れたままの私は、これから先どうすればいいの?
「よかったら、もう一度、恋人からやり直したい。千鳥の気持ちに気づけなかった僕の責任だ。気分を害したなら、千鳥の記憶から僕を消す」
「いいよ」
「それは、記憶を消してもいいと…」
「違う、バカ。…恋人からやり直したいのは、私も一緒よ。でも、条件がある。チルドレンばかり気にかけないで、私にも愛情を注いでほしいの。そうでないと、また私の心が壊れてしまう。…ごめん。条件はキツいし、重いよね。彼女からのささやかなお願いです」
「じゃあ、そのお願いを永遠のものにしよう」
「へ?」
「そうと決まったら、こんな子供っぽい所はやめだ。一緒にもう一歩先に進もうじゃないか」
「? うん」


 恋人より先などあるのだろうかと考えている中、どうやら彼の目的地へ着いたようだ。
「え? ここって…」
「入ろうか」
「待って!」
「待たないよ」
 そう言う彼の顔は、いつになく真剣なもので否定する言葉が見つからずに、手を繋いだまま店内に入った。ここは、いわゆるジュエリー店で、目の前のガラス張りのショーウィンドーの中には、指輪やピアスがずらりと並んでいる。かつて憧れ、捨てた乙女の夢。人生で一度は小さな物でもいいから、宝石を身につけてみたいと幼い頃に思った。でも、当時は戦争のただ中でそんな戯れ言言えるはずがなかった。軍服に身を包む彼の背中を見て、浮かれた言葉を必死に抑えていた自分がここにいる。今は戦争が終わり、ほんの少し淡い期待も抱いていたのも、また事実。それが今日、愛してやまない彼に手を引かれ、夢に一歩近づいている。
「どれがいい?」
「えっと…」
 そう言って指さす先には、仲良く寄り添うペアリング達。シンプルなデザインが好きな私は、あまり時間がかからないように考慮し、どんどん頭の中で消去していく。最終的に決めた物を指して、彼の表情を伺う。京介はそれに気づかず、満面の笑顔を浮かべてあっさり購入。店外に出て無言のまま、バベルへ直行。ロビーに着くなり受付嬢を無視して、近くのソファーに座り『はめてくれ』と言う。戸惑いながらリングをはめると、おもむろに床に片膝をつき、こちらを見上げる。急な展開で脳内での情報処理が追いつかない。
「今まですまなかった。今度こそ千鳥を幸せにしてみせる。僕と一緒に人生を歩んでくれないか?」
「…っ…」
 バカ。その言葉を、何十年待ったと思ってんのよ。
 罵りたい唇は嗚咽をこらえ、瞳は大粒の涙を生産し、京介に握られた左手は『決して離すまい』としっかり掴み、…全身で『嬉しい』という感情を表していた。
 泣くばかりじゃいけない。
 ちゃんと答えを出して。
 彼が返事を待っている。


「…はい。もちろんです」


 彼がどんな顔をしているのかは分からないが、人目をはばからずに抱きついてきたことで同じ感情を共有していると実感する。
「ありがとう。千鳥」
「ありがとう。京介」
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