長編

□想いはどこに(完結)
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【N side】


「なびき、これ見てもらえるかしら?」
「なあに、お姉ちゃん?」

渡されたのは数冊のノート。

「行政書士とかファイナンシャルプランナーの勉強してるでしょう?」
「ん?まあ……独学だけどね」
「だからちょっとそういう視点で見てもらいたいのよ」
「ふうん?」

開いてみると、数字がびっしり書かれている。
これは……家計簿?

日付は……お母さんが亡くなった年から。
最初のうちはお父さんの字でかなりおおざっぱ。
少しずつおねえちゃんの字が多くなってきて、ここ数年はかなり詳しく丁寧に書かれている。

「……お姉ちゃん、ちょっとこれ……」
「……どうかしら?」

どうかしら、と言われても。
あたしはどう答えていいのか分からなかった。


高校を卒業してから大学の経済学部で4年。
会計士の資格をとった。
今は事務所に就職して働いているけれど、独立するために独学で色々と細かく勉強している。
お姉ちゃんがあたしに話を持ちかけてきたのはきっと仕事としてこの状態を見て欲しいって事、だと思う。


我が家がどうやって生活費を捻出しているのか、正直言ってさっぱり分からなかった。
お金のことはお父さんとお姉ちゃんがやっていたから。
あたしが口を出すべきじゃないと思って、あえてうちのことには触れなかった。

けど……。

「もう少し早く、なびきに見せたほうが良かったかしら……?」
「早くも何も、こんな状態じゃいつ見たってこういう結果になることは変わらなかったわよ」
「そうよねえ……」

収入はほとんどない。
お父さんが妖怪退治で稼ぐのと、あたしとあかねが入れる生活費。

とは言っても……あたしはまだ普通のサラリーマンだからそんなに給料があるわけじゃない。
あかねは専門学校で整体師の勉強をして、今は東風先生のところで働いているから……これまた大金なんか家に入れられるはずがない。

幸い、昔と違って大食漢がいるわけじゃないから食費はそんなにかかってない。
むしろお姉ちゃんのおかげで最低限に抑えられていると思う。

けれどその分、固定資産税が半端じゃない。
そりゃそうよね。
昔ながらの日本家屋、道場まである広い土地。
かからないほうがおかしいってものよ。

「……限界、かもね……」
「やっぱりそうよねえ……」

結論をはっきり言うことは、お姉ちゃんもあたしも避けた。
この家にとって重要な問題だから。

……これは、お父さんの判断になることだわ……。







「……そうか」
「どうするの?」
「…………」

目を瞑って話を聞いていたお父さん。
じっと何かを考え込んでいるように見える。

「……早乙女くんと乱馬くんがいれば道場も……いや、今更言っても仕方ない、か……」
「……」



5年前にうちを出て行った早乙女親子。
誰にも何も言わず、ただ黙って姿を消した乱馬くん。
しばらくしてお父さんの元へ一通の手紙が届いた。

『2年間、お世話になりました』

乱馬くんにしてはきれいな字でそれだけが書かれた手紙。
その中には、あかねの『あ』の字もなかった……。

乱馬くんが出て行った夜。
あかねが部屋で泣いていたのを知っている。
あかねは声を押し殺していたみたいだけど、隣の部屋にいたあたしには切れ切れにしゃくり上げる声が聞こえていた。
いつものけんかにしては様子が違うと気が付いた。
けれど、2人のことだから数日たてば元通りだと思い込んでいた。
なのに、翌朝には乱馬くんの姿は消え、あかねはそれに関して何も言わなかった。

乱馬くんからの手紙が届いた翌日にはおじさまも荷物をまとめて出て行った。
おじさまを見送る寂しそうなお父さんの背中が目に焼きついている。
お父さんとおじさまの間でどんな話がなされたのかは知らないけれど、それ以降、お父さんもあかねも……『許婚』のことには一切触れていない。

傍から見れば完全に両思いだった二人に何があったのか……。
何も言わないあかねを追求しても言いっこないことは分かっているから、誰も何も言わない。
乱馬くんは……おじさまも行き先を知らないらしい。



「なびき、かすみとあかねを呼んできてくれないか」

お父さんに言われて二人を呼びに行く。
かすみお姉ちゃんは覚悟したような顔で、あかねは無表情で、それぞれ居間の定位置についた。

「かすみとなびきは薄々わかっているだろうが……うちの、家計のことだ」
「「「……」」」

うちのことを言われてもあかねは反応しなかった。
乱馬くんがいなくなってからは何に対してもこの状態。
仕事での愛想笑いはしているみたいだけど、それ以外は……まるでココロを取られてしまったかのように興味を示さない。

そんなあかねを悲しそうに見つめて、お父さんは話を続けた。

「かすみが頑張ってくれていたおかげでなんとかここまでやってきたんだが……やはりこの家と土地の税金がかかりすぎていてね……。もうこれ以上、ここで生活していくことは……」
「つまり?」
「……ここを、売ろうと思う」

お父さんの判断は、あたしと同じ。
おそらく……かすみお姉ちゃんも。
ただ、あかねは……。

「あかね、どう思う?」
「……お父さんが決めたのなら、それでいいわ」

焦点が合っているのか合っていないのか、それすらも分からないようなぼんやりした顔で返事をするあかねに、お父さんは言った。

「……本当に、いいんだね?」
「ええ」
「……乱馬くんの思い出がある家だよ?」
「っ!!」

びくり、とあかねの肩が震えた。
5年前のあの日から初めて、お父さんの口から出る彼の名前。
うつむいたあかねの表情は見えないけど……震える肩から泣くのを堪えているのがわかる。

「……っもう、終わったこと、だから……」
「……そう、か……」

お父さんは静かにあかねを見つめた。
悲しそうな切なそうな目で、一体何を思うんだろう?
そしてあかねは……。






数日後。
『天道道場』と書かれた看板があった場所には『売家』と書かれた一枚の紙が貼られた。

家族揃って家を出る。
行き先は、近くのアパート。
しばらくはそこが我が家になる。
今までの家とは比べられないほど小さな我が家だ。

「……さあ、行こうか」

お父さんに促されて歩き出したあたし達。
お父さんの後ろについて数歩歩いて……あかねが付いて来ていないことに気がついた。

「……あかね?どうしたのよ?」
「……」

あかねが立ち止まって『売家』と書かれた紙を見上げていた。
そして悲しそうな顔でお父さんを見る。

「……お父さん」
「なんだい?」
「……ごめんなさい……」

目を見開いてあかねを見つめたお父さんは、しばらくして優しく微笑んだ。

「あかねは何も悪くないだろう?どうしたんだい?」
「……道場、継げなくて……」
「!」

無差別格闘天道流二代目。
その責任を果たせなかったことが、あかねにとってどれだけ悔しいことなのか……きっとお父さんが一番理解しているんだろう。

「……いいさ、お師匠さまだってどこかで元気でやっているだろうし、無差別格闘流はきっと……存続していけるよ」

早乙女流がある、とは言えないだろう。
特にあかねの前では。
きっとあかねがお父さんに一番詫びたいことは、乱馬くんとの事だから。
乱馬くんと一緒に無差別格闘流を継いでいくことが、お父さん達の一番の願いだったから。

「……ごめんなさい……ごめ、なさ……っ」

ぼろぼろと涙をこぼすあかねの肩をお父さんが優しく撫でた。
思わずあたしはかすみお姉ちゃんと顔を見合わせた。
5年前のあの日から、あかねが感情を表に出すのは初めてだったから。

「……あかねちゃん、やっと心が表に出てきたのね……」
「うん……ま、状況はまだまだこれからだけどね」
「なんとかなるわよ、きっと。だって家族が一緒なんだもの」
「……そうね」

あたしは知ってる。
乱馬くん達がいなくなって心を閉ざしたあかねを心配して、東風先生との結婚を先延ばしにしていることを。
きっと……こんな状況になってしまったから、また結婚が遠のいてしまうんだろう。
東風先生はきっとずっと待っていてくれる。
それでも、あたしは……お姉ちゃんには早く幸せになってもらいたい。
天道家の母代わりとして一生懸命に生きてきたお姉ちゃんだから。

お姉ちゃんのためにも、お父さんのためにも、そして……あかねのためにも。
早く今の状況にピリオドを打たなくては。



……あたしが、なんとかしなくては……。
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