長編
□仮面夫婦
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【R side】
トントン。
軽いノックにドアの向こうから返事が聞こえた。
いくらフリすりゃいいとは思っていても、やっぱり緊張しちまう……。
だってよ、俺は小さい頃から修行の毎日で女なんて関わったこともないから。
どうやってきり出せばいいんだ?
お互いに興味ないんだから契るなんてやめとこうぜー、ってか?
っつーか、結婚するってことはこれから死ぬまで添い遂げるってことで……あれ?俺、選択早まった?
そんでもまあノックしちまったし。
返事も聞こえたし。
何とかするっきゃねーな。
……最悪、離婚すりゃいいんだし。
傍から見れば最低最悪なことを考えながら、おれはそっとドアを開けた。
「……?」
広い部屋の奥には、開け放たれた窓。
黄色いカーテンがゆらりと揺れる。
その手前には丸テーブルにソファー。
左手には洒落たランプと大きな鏡が置かれたテーブル、椅子。
そして右手には……。
天蓋がついた大きなベッド……。
天蓋から下げられたカーテンは閉じられ、月明かりでうっすらと人影が見える程度だ。
小柄な女なのは、わかる……けど、顔は全然わかんねえな。
「……あの……」
「へ?」
「てっ、天道あかね、です……」
「あ、早乙女乱馬です」
「あの……いっ、至らないところも、たっ多々ありますが……その、これより先、よ……っよろしくおね、お願いしま、す……」
「……」
あーあ、かわいそうに。
声、震えちまってんじゃねーか。
カーテンの向こうで深々と礼をするその女が気の毒に思えてならない。
おやじから同い年だって聞いてるけど……全然知らない男と契らなきゃなんねえなんて、一体どんな気持ちでここにいるんだろうな?
「あー、あの、さ?」
「え……?」
「俺、婿入りの話を聞いたの、今朝なんだよ」
「え!?」
「んだからさ、なんちゅーか……急にこんな事になってまだイマイチ状況把握できていない、というか……」
「あ……あたしも……」
「へ?」
「聞いたの、昨日で……」
「はあ?」
なんじゃそりゃ!?
ったく、どこの親も子供の気持ちも考えねーで何勝手なことしてやがるんだよ……。
「で、今日は……婚前の契り?だったか?」
「あ……は、はい……あの、よろし……」
「待て待て待てっ!ちょっと待てっ!」
「え?」
んな震えた心細そうな声でよろしくなんて言われてもよ!?
「まだお互い、全然知らねーわけだし。顔すらもわかんねえんだぜ?こんな状態で契れって言われたって無理じゃないか?」
「え、でも乱馬さま……?」
「さま、なんて付けるなよ、めんどくせえ。乱馬でいい」
「は、はい……」
「おめえだってイヤだろ?見ず知らずの男と契れなんてさ」
「……」
あかねって女が俯くのがわかる。
やっぱりイヤなんじゃねーか。
無理するよなあ……そういえば娘しかいない家なんだっけ?
地主に仕え続けるためには腕に覚えのある男を婿に、って……。
もしかして、小さな頃からそういうことを覚悟でここまで生きてきたんだろうか?
俺が好きな修行三昧で過ごしてきた間、ここの娘達は誰ともわからない男と結ばれなきゃいけないってことを考えながら過ごしてきたんだろうか……。
「……っふ……ぅぅっ……」
「い゛!?」
ななな泣いてる!?
「あっ、あの、どした?」
「あっあたし……あたし……っふぇ……ぇぇっ……」
ベッドに座り込んで泣く影に、俺はどうして良いのかわからないままオロオロするしかない。
だってよ、そこのぶら下がったカーテン、勝手に開けていいもんか!?だめだろ!?
「あのさっ、俺、別に無理に契ろうとか思ってないからっ」
「ふぇ……っ?」
「だから、フリだけしとこうぜ?な、そのほうがいいだろ?」
「い、いいんですか……?」
「おっ、おう」
か細い声で縋るように問いかけるその声に、ほんの少しだけドキリとした。
顔はわかんねーけどな。
うん、声はかわいい、かも……。
「俺、そこのソファーで寝るから。朝になったら起こしてくれよ」
「あ……はい」
「んじゃおやすみー」
「……おやすみ、なさい……」
あかねって女の容姿が気にならなかったわけじゃない。
それでも不安げな震えた声で、堪えながらも泣いてる様子を見たら……無理に今、顔を見ようとしなくてもいいんじゃないかって思ったんだ。
……だから俺は彼女の顔も見ないまま、ソファーで眠りについた……。
【A side】
……どんなに嫌がっても泣いても苦しくても、絶対に無理やり契られるんだろうと思っていた。
だってそれが男の人なんじゃないの?
据え膳食わぬはなんとやらってなびきお姉ちゃんが言ってたもの。
だから……覚悟だけは、していた……。
『俺、別に無理に契ろうとか思ってないからっ』
少し焦ったような声で、それでも“フリ”でいいんじゃないかと言ってくれた。
この婿入りの話、今朝聞いたんだって。
だから状況把握してないって。
……理由はそれだけ?
本当は……心に決めた人、いるんじゃないの?
だから…………。
天蓋から下がったカーテンの向こうから、静かな寝息が聞こえた。
早乙女のおじさま……じゃなかった、お義父さんの一撃でずっと寝込んでいたはずなのに、まだ眠れるのかしら?
そっとカーテンの隙間から彼を見ると、ソファーに横たわって眠る姿が見えた。
……なにもかけていない、あれじゃあ風邪ひいちゃうわ……。
手元にあった薄手の掛け物を持って彼のそばへ寄った。
……あら?考えていたような人じゃ、ない……。
かなり腕の立つ格闘家だって聞いていたから、もっとゴツゴツした大きな人かと思っていたのに。
どちらかというとすらりとした体格……本当に強いのかしら?
顔もきれいだわ、鼻筋が通っていて眉もきりりとして。
……目を開けたところ、見てみたいな……。
「……乱馬……?」
「……」
そっと呼びかけるも返事はない。
あっという間に眠ってしまったみたい。
ゆっくりと掛け物をかけると、手繰り寄せるように手が動いた。
わあ……大きな手……。
指、長い……。
体と一緒で、格闘してるとは思えないくらいきれいな手。
……あたしのほうが強いんじゃ……?
「ん……」
「!!」
いけないっ、起きちゃう!
慌ててベッドへ戻り、寝たふりをする。
乱馬は少し身じろぎしただけだったみたい。
……明日、少しだけ……早起きしようかな?