ナギ 2

□君のとなりで
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「ナギさん、今日はありがとうございました。お陰で上手くいきました!」


「ああ、良かったな。」



隣を歩くナギさんにお礼を言うと、ナギさんが少し口元を緩めた。



今日は得意先に訪問する事になっていたんだけど


一人じゃ不安だった私は同じ課の先輩のナギさんに同行をお願いしたのだった。



「前から聞いてみたかったんですけど、何でナギさんはうちの会社を選んだんですか?」



私達の働く食品会社は流行り廃りは無くて安定しているけれど、はっきり言って地味な業界だ。


ナギさんほど出来る人なら、他の業界に行けばもの凄く注目を集めたと思うのに。



「身体を作るのは毎日の食事だからな。俺は食事が人生の基本だと思ってる。


だから、食に関わる会社で働きたかった。」



ナギさんの目は真っ直ぐで、その言葉には迷いがなかった。


『地味な業界』と言う理由で疑問を持った事が恥ずかしくなるぐらいに。


きっとナギさんはきちんとした食事をする家庭で育ったんだな。



「で、お前は?何でうちの会社を選んだ?」


「あ…私は、食べる事が好きだからです。」


「ぷっ、分かる。お前、飯すげぇ美味そうに食うよな。」



そう言って笑ったナギさんを見て、胸の奥がきゅっと締めつけられた。



ナギさんは普段無口であまり表情が変わらない。


だけど、ナギさんが少年みたいな顔で笑う事を私は知ってる。



初めてその笑顔を見た日から、私はナギさんにずっと恋をしていた。



「やっぱりナギさんのお母さんはお料理上手なんですか?」


「さぁ…知らねぇ。」


「えっ?」


「物心ついた時には両親はいなかった。」


「あの、私……スイマセン、知らなくて。」



ナギさんは何でもないように答えたけど、きっとご両親の話はしたくなかったよね。


知らなかったとは言え、私ってば無神経な事を…



「別にお前が謝る事じゃねぇだろ。」


「でも…」


「親がいなくて寂しいって年でもねぇし、気にすんな。」



ナギさんの大きな手が、私の頭をくしゃっと撫でた。


その途端に心臓がうるさいぐらいに騒ぎ出す。



(ナギさん、優しいな。)



ナギさんのその大きな手に、ずっと捕まっていたい…



その時、急に雨が降りだした。次第に雨足が強くなっていく。



「わっ!結構降ってきましたね。」


「ヒロイン。」



ナギさんが着ていたスーツのジャケットを脱ぐと、私の頭に被せた。



「会社まで直ぐだ。走れ!」


「は、はい!」



(わ、ナギさんの匂いだ。)



湿気混じりの空気とナギさんの匂いに包まれて、何だか足元がフワフワする。



「ナギさん、すいません。ジャケットかなり濡れちゃいました。」


「気にすんな。」


「助かりました。ありがとうございます。」


「ああ…お前、結構濡れてんな。これ使え。」



ナギさんがハンカチを差し出す。



「何から何まで、ありがとうございます。」



私は頬を拭こうとハンカチをそっと顔に近付けた。



(えっ…?)



「……ナギさん。やっぱり、お返しします。」


「ヒロイン?」


「あの、私…おトイレ。そう!おトイレにずっと行きたかったんです!失礼します!!」



私は、呆気にとられているナギさんに背を向けると、全速力でトイレまで走り個室に飛び込んだ。



鼓動が速く強く鳴っているのは、走ってきたせいだけじゃないと思う。


ぎゅっと手を握りしめてみたけど震えは全然止まりそうもない。



ナギさんの貸してくれたハンカチは、大きくて、綺麗にアイロンがかかっていて



……甘い、香水のような香りがした。




「ふっ…ひっ、く…」



ナギさんは几帳面だから自分でもハンカチにアイロンぐらいかけると思う。


でも、あんな甘い香りがしたって事はアイロンをかけたのはナギさんじゃない。


ナギさんのハンカチにアイロンをかけたのも



ナギさんに美味しい料理を作ってあげてるのも



(きっと、彼女だ…)



もしナギさんに彼女がいたとしても全然不思議じゃない。


勝手に私が憧れて、勝手に好きになっただけだ。


そう分かっていても涙は次から次に溢れてくる。


どうしよう…苦しくて、胸が張り裂けそう。




私の淡い恋は、突然降ってきた午後の雨に流されるように終わりを向かえた。






 

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