サイレント
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宮田司郎
羽生蛇村/宮田医院
初日/14時28分45秒
誰も居なくなった診察室で宮田は無言で椅子に座り、先ほど取っていたメモを見た。
なまえの話をまとめていたのだ。
教会で、なまえは『儀式を行わなくていい』と言っていた。それは、どういう事なんだ?そして『朗報』とは一体何のことだ。
そしてここで話された愚痴の様な台詞を簡単に結んでみると『堕辰子』『地に落ちる』『人間に食べられる』―――かなり私見を挿んでいるとはいえ、妙に筋は通っているように思える。『人間に食べられる』と言う所がどことなく『八百比丘尼伝承』を彷彿とさる―――
不意に宮田は、先ほどまでなまえが座って居た筈の丸椅子へと視線を投じた。そこに置かれているのは、花瓶に入った、一輪の百合の花。
白く滑らかな花弁が、美しい弧を描いている。何気なく見ていたら、
百合の花―――?
何故だかそれが、引っかかった。
頭の隅に明るい光が過る。
導かれるように、そっとそれに手を伸ばそうとして―――
止めた。
「(こうしている場合ではない。)」
宮田はさっさと立ち上がる。
今ならなまえはまだそう遠くへ行っていない筈だと、診察室を後にした。
***
なまえ
羽生蛇村/山地入口付近
初日/14時38分12秒
なまえはひたすら走っていた。
何とか人に見つかることなく病院を抜け出せたのはいいが―――
「ここどこ!?」
完全に迷子になっていた。
見渡す限り、緑、緑、緑……。
どう見ても森の中。
「ぬあぁぁ……こんなんなら天界に居る時ちゃんと地理の勉強しておくべきだった!地図暗記しとくべきだった!!」
なまえは天へ向けて嘆いた。
「そもそも『山地入口付近』って何事な―――のぉんっ!?」
私は不可解な語尾と共に何かに躓くと、大きく横に倒れてしまった。地面は土やら雑草が柔らかいとは言え……正直痛い。ものすごく痛い。
痛みに痺れ上手く体を動かすことが出来ず、起き上がることは出来なかった。だけどせめてと、うつ伏せの体制へと転がり、ジンジンと特に痛む腕を見た。腕はたまたまそこに転がっていた石の所為で、皮は捲れ血がにじむという有様。
「うわぁ……」
正直引いた。
何これグロテスク。
それにしても、これが『痛み』ってやつなのかぁ、と改めて実感する。痛いし暑いし苦しいし、人間の体はとても不便だ。それが瞬時に収まる方法もないし。不幸に直結するような構造と言っても過言ではないと思う。それに、さっきから痩せ我慢してたけど……
――私、裸足なんだよね。
ふふふっと軽やかに、思わず微笑んだ。
それにずっとずっと走っていたせいで、息がまともに出来なかった。肺が焼けるように痛くて、喉がヒリヒリする。飛びたいけど飛べないし。テレポートとか超カッコイイことしたいけど、出来ないし。マジックとやらを見てびっくりする人間の気持ちが初めて良く解った。
「そのうち私もあの観客席に座ってるのかなー……」
ボンヤリと呟かれた台詞は、高くそびえる森の木々を伝って、空へ消える。じりじりと鳴く蝉の声。遠くから反響する小鳥の囀り。
涼しい風が、吹き抜けた。
色々不便ではあるけれど、火照った体を冷やしてくれるこの風は心地が良い。
悪い事ばかりでも、ないのかな?
……って、呑気な感想漏らしている場合ではない。早く八尾さんに、『朗報』を伝えないと……!
その為にここまで来たんだから、何としても伝えなければいけない。って言うかあんなことになる前にさっさと言えばよかった!勿体ぶったつもりなんて毛の先ほどもなかったけど―――っていうかいきなりぶん殴るとか予測不可能じゃね!?無理だよ回避不可能だよ!!
今度こそ、今度こそ絶対伝えよう。だからさっさと教会探さないと。
「ここで見つかるわけには――――」
「見つけましたよ」
「うわあああぁぁぁあ!!」
突然頭上から降ってきた冷たい声に大いに驚いて、なまえは飛び跳ねるように身を起こそうとした。が―――
「っと」
背中に膝を立てるようにのしかかられ、それは叶わなかった。
「どっ退けて下さい!!ちょっとかっこいい感じの台詞言おうとしたのに邪魔しないで下さい!!」
「こんな時に何言ってるんですか」
「私には果たさなきゃいけない使命的なアレがッ!!」
「どれですか」
宮田は暴れ出そうとするなまえの両手を素早く拘束する。
「―――!」
赤く染まった腕を見て、宮田は目を丸くした。
「あなた、怪我して―――」
「怪我?怪我って……何ですか?」
おかしな質問に、一瞬宮田が怯んだ。
「怪我とは、体に傷を負う事ですよ。……ほら、立てますか」
「あ、どうも―――いだだっ!!」
宮田はボロボロのなまえを乱暴に立たせた。容赦なんてないよ。
「しかも裸足で……本当に馬鹿なんじゃないですか。」
今まで言わなかった単語をついに使ってしまった宮田。
「取りあえず手当しないと。一旦病院へ戻りますよ。」
「病院?」
「傷を癒す施設の事です。……本当に何も知らないんですね。」
「(やだこの人さっきから一言多い……)」
と思いつつ、なまえは宮田に付いて行こうと一歩踏み出す。
踏み出して―――
「やっ!!嫌ですよ!!戻ったら私駄目じゃないですか!!」
気付いた。
宮田は舌打ちでもしそうな顔で振り返る。
「な、何ですかその顔は!当然ですよ!私戻りませんから!!」
「その怪我はどうするのです?」
半身に構えたまま首を傾げたなまえに、宮田は相変わらずの無表情で、自分の腕をを指でトントンと軽く叩いた。
その仕草につられ、なまえは自分の肘に目を向ける。赤い血が視界に入った瞬間、微妙に焦点をずらした。グロテスク故に直視できなかったらしい。
「消毒しないと」
「放っておいたら駄目なんですか?」
「あなたがそれで構わないなら強制はしませんが―――いいんですか?」
逆に質問をされたなまえは首を傾げながら宮田を見上げ、その姿を捕えた瞬間硬直した。
顔に影がかかっていて、スッと細められた目に、心臓がヒヤリと跳ねる。
「ほ、放っておいたら……どうなるんですか……?」
「そうですねぇ、菌が入って膿が溜まり腫れが酷くなり場合によっては蜂窩織炎にかかったり感染症を引き起こしたり……最終的には腐食して切り落とす羽目になるでしょうね。」
―――ただの脅しだ。
本当かよと言いたいところだが、なまえは顔を真っ青にしている。
「え、き、切り落と……す……?」
「えぇ。ここから先が―――無くなるのです。」
ス、と指された宮田の指を目で追った後なまえは冷や汗を流しながら腕を抑えた。血の気が引いていて、震えている。何だか泣きそうな表情だ。苛める様に「いいんですか?」と念を押す宮田になまえはブンブンと首を振って大人しくついて行くと言った。
―――宮田は確信した。
これはかなりの単細胞だ、と……
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どうして宮田さんはなまえさんの
居場所を特定できたんですか?(裏声)
なって言っちゃいけませんよ!!
多分嗅覚が鋭いんだよ!